著者:ケヴィン・ケリー ( Kevin Kelly )
訳 :堺屋七左衛門
この文章は Kevin Kelly による "The Satisfaction Paradox" の日本語訳である。
満足のパラドックス The Satisfaction Paradox
身の回りにあるのは自分の欲しい物ばかりという世界に住んでいたらどうなるだろう? しかも、それが大量にある。そこにあるもの全部、100パーセントが好きな物ばかりであれば、どうやって選択するのか?
今までに作られた素晴らしい映画や本や音楽がすべて「ただ同然」で、しかも自分や友人の選別のおかげで屑や駄作や退屈なものが排除された世界に住んでいるとしたらどうだろう。そこにある選択肢は、親友が推薦する完璧な最高品質のものばかりだ。さて、次に見たり、読んだり、聞いたりするものは、どれにしようか?
2011年05月26日
2011年05月12日
「未来の本の姿」
著者:ケヴィン・ケリー ( Kevin Kelly )
訳 :堺屋七左衛門
この文章は Kevin Kelly による "What Books Will Become" の日本語訳である。
未来の本の姿 What Books Will Become
本は、読むのに1時間以上かかる自己完結した物語、論証、あるいは知識体系である。本は、発端と中間と結末をすべて包含するという意味で完全である。
昔は、本とは表紙と裏表紙にはさまれた印刷物であると定義されていた。電話帳には論理的な発端も中間も結末もないが、それでも本だった。白紙を重ねて綴じたものは、スケッチブックと呼ばれていた。恥ずかしげもなく空っぽだが、それには表紙と裏表紙があり、したがってブック(本)と呼ばれた。
今では、紙のページの本は消滅しつつある。そのかわりに残っているのは、本の概念的構造である。ある主題に沿った大量の文章があって、ある程度の時間をかけて経験に統合されるというものだ。
訳 :堺屋七左衛門
この文章は Kevin Kelly による "What Books Will Become" の日本語訳である。
未来の本の姿 What Books Will Become
本は、読むのに1時間以上かかる自己完結した物語、論証、あるいは知識体系である。本は、発端と中間と結末をすべて包含するという意味で完全である。
昔は、本とは表紙と裏表紙にはさまれた印刷物であると定義されていた。電話帳には論理的な発端も中間も結末もないが、それでも本だった。白紙を重ねて綴じたものは、スケッチブックと呼ばれていた。恥ずかしげもなく空っぽだが、それには表紙と裏表紙があり、したがってブック(本)と呼ばれた。
今では、紙のページの本は消滅しつつある。そのかわりに残っているのは、本の概念的構造である。ある主題に沿った大量の文章があって、ある程度の時間をかけて経験に統合されるというものだ。