著者:ケヴィン・ケリー ( Kevin Kelly )
訳 :堺屋七左衛門
この文章は Kevin Kelly による "Chosen, Inevitable, and Contingent" の日本語訳である。
選択と必然と偶然 Chosen, Inevitable, and Contingent
1964年のニューヨーク万国博覧会を見に行った私は、目を丸くして口をポカンと開けた子どもだった。必然的な未来が展示されていて、私はそれを丸ごと飲み込んだ。AT&T(米国電信電話会社)館では、テレビ電話が動作していた。テレビ電話という発想は、科学小説(SF)では百年前から未来予想のわかりやすい事例として知られてきた。それが目の前で実際に動作している。そのとき見ることはできたが、使う機会はなかった。しかしテレビ電話が近郊生活に浸透する様子を示す写真が、ポピュラー・サイエンス誌やその他の雑誌に掲載されていた。私たちはみんな、それが自分の生活にいつか出現すると期待していた。さて、つい先日、それから45年後に、1964年当時に予言されたのとまるで同じようなテレビ電話を私は使った。妻と私はカリフォルニアの書斎で湾曲した白い画面をのぞき込んで、上海にいる娘の動画を見ていた。それは昔の雑誌の挿絵に描かれたテレビ電話のまわりに集まる家族に似ていると思った。中国にいる娘は自分の画面で私たちの姿を見ながら、取るに足りない家庭の雑事についてのんびりとおしゃべりした。このテレビ電話は、みんながこうなると想像していた通りのものである。ただし、三つの重要な点を除く。その機器は、厳密には電話ではなく、こちらはiMac(アイマック)であり、娘はノートパソコンである。通話は無料(AT&Tではなく、スカイプ経由)である。そして、問題なく使用可能であり無料であるにもかかわらず、テレビ電話は一般的になっていない ―― 私の家族にも。つまり、必然的だったはずのテレビ電話は、昔の未来予測とは違って、現代の標準的な通信手段にはなっていない。