2008年04月02日

「物のインターネットにおける四つの段階」

著者 ケヴィン・ケリー Kevin Kelly
訳  堺屋七左衛門


この文章は Kevin Kelly による "Four Stages in the Internet of Things" の日本語訳である。



物のインターネットにおける四つの段階

新しい流行語「グラフ」は、便利だが使い古されたネットワークやウェブという言葉にとってかわるかどうか。私はそんな賭けはしない。(ニコリともしない人がよく口にする「ブログ」という言葉が負けることになら賭けてもよいが。)いや、それはどうでも良い。ティム・バーナーズ=リーによる「ジャイアント・グローバル・グラフ」(Giant Global Graph)と題する短い投稿では「グラフ」という言葉をいい感じで使っている。これは私の知る限り、セマンティックウェブの最も優れた概説である。それはセマンティクスについて語っていないから、ということもあるのだが。

彼の話のポイントを別の言葉で説明しておく価値がありそうだ。彼のエッセイに出てくる以下のテーマは、「セマンティックウェブ」や「ウェブ3.0」についての私の考えの概要でもある。

第1段階
現在の通信革命の第1段階は、計算機を結びつけることであった。この結びつきをネットワークのネットワーク、すなわち「インターネット」と名づけた。それは有用でもあり退屈でもある。電話機のない電話システムとでもいうような感じのものだった。航空便の予約をしようと思えば、せいぜい航空会社の計算機に接続するくらいのことしかできない。この新しいシステムの熱心な参加者は、開放性に向かって一歩踏み出す必要があった。インターネット上の計算機は他人のデータパケットを転送しなければならない。大きな枠組みで見れば、ビットの製造元は自分のパケットを自由に制御することはできない(そこが電話システムと違うところ)。

第2段階
デジタル通信の第2段階は、文書やページを結びつけることだった。これがウェブである。ここでは航空会社に接続するのではなく、希望する航空便のページまたは文書に接続することができる。システムをずっと役に立つものにする分解能の向上があったのだ。そして、この競技場で競技するためには、競技者はそのページを開放して共有できるようにしなければならなかった。パスワードでページを隠すことはたいてい失敗する。多くの初心者が誤って試みるように、自分の文書に誰がリンクしてよいかを制限することもできない。文書の内容が少しだけコピー・アンド・ペーストされることや、サーチエンジンがインデックスのために全部コピーすることも認めなければならない。これが開放への第2歩である。しかしつながりの価値が一般に広く認められるようになっていた。

第3段階
いま私たちは第3段階初期の終わりにいる。ここで起こっていることは、まず計算機の結合と共有があり、次に文書の結合と共有、そして今ではその文書の中にあるデータの結合と共有が行われている。文書が述べていることの主題と意味を共有し結合しようとしている。航空会社の計算機に接続するかわりに、また航空便のページに接続するかわりに、私たちは航空便の情報そのものに直接つながることができる。データは単体化されて、ウェブ上のどんな装置でも読むことができる形になっている。うまくやれば、データをウェブそれ自体に理解させるようにすることができる。データを英語ではなく一般的なセマンティック形式で表現しておけばよい。その汎用的形式はデータベースの中に存在するような物だろう。実際のところ、この段階はワールド・ワイド・データベースと考えることができるかもしれない。

WWideDatabase.jpg

世界中のデータにアクセスすることは自由をもたらすことであり、XML, RSS, API, RDF, OWLなど多くの3文字技術で可能となった。これらはウェブ上でデータを伝達して共有するための標準技術である。ウェブサイト同士の間でRSSによってコンテンツが飛び交うことで、驚くほど多くのことが可能になった。そのほかに、ひどく真価を認められていない技術がAPIである。このゲートウェイのおかげで膨大なデータのアーカイブを安全に共有することができる。普通のネットワークの効力を使って、データの秘めた力を解き放つ。使えば使うほど価値が上がる。前の二つの段階と同じように、人々は共有の恐怖を克服しようと奮闘している。データを共有することは計算機や文書を共有するよりは身近に感じられる。しかし、いかにしてデータを共有するかを理解することは、次の段階でのウェブの目的である。次の段階で真に価値があるものは、強い結合や強いつながりによって、あるいは自分の貴重なデータを自由に(妥当な範囲で)公開することによって得られる価値に基づくものである。そのことを理解し開放できる人が最も多くを得る。

ここで、ティム・バーナーズ=リー自身が述べていることを紹介しておく。

共有の魅力的でない面は、制御できなくなることである。ネット、ウェブ、グラフ、それぞれのレイヤーにおいて、実際、私たちは大きな便益と引きかえに、何らかの制御について譲歩してきた。あなたのデータを他人のデータと結びつけることは、その意味で開放することである。とは言っても権利のない人にデータを与えるのではない。仲間のサイトからデータにつながるようにすることである。あるいは他のアプリケーションからデータに結合できるようにすることである。


第4段階
ところで、私はこの第3段階が歴史の終わりだとか物語の終わりだとは考えていない。(私は三つの何々という形の歴史については懐疑的である。)四つめの段階がその先に見えると思う。第4段階は物それ自体を結びつけることに向かう。ある物に関するデータがすべてその物に組み込まれていてほしい。ある場所のデータがその場所自体に埋め込まれていてほしい。あなたは実際には航空会社の計算機に接続したいのではない。航空便のページや航空便のデータでもない。航空便そのものにつながりたいのだ。理想的には飛行機に、自分の座席に、あるいは発着時刻に組み込まれた処理と生のデータにつながる。これらの物とサービスの複合体が私たちが「航空便」と呼んでいるものであり、それにつながるようになる。私たちの究極の要望は、物のインターネットである。

セマンティックウェブ
物のインターネットにおいては、私たちの作る物は何でもほんのわずかのつながりを含んでいる。できるのはまだ先だが、そういうものを作れると私は信じている。データのインターネット、すなわちワールドワイドデータベースは今まさに胎動しているところだ。私の知る限りでは、これはみんながセマンティックウェブと言っているもののことである。なぜならば、共有するためには情報を自然言語から抽出して、それぞれの要素に分解して、それにタグをつけてデータベースに入れなければならない。この基本的な構造によって、何千通りもの新しい方法で意味のある(セマンティックな)情報の分子を再構成することができるようになる。それは、平面的で注釈のない元の文書のままでは不可能である。

この共有可能なデータを抽出することは、みんながウェブ3.0と言っているものだと思う。このバージョンのウェブ世界圏では、データが波のように押し寄せ、流れて、ウェブサイト群に広がっていく。一つの大きなデータベースの中のように、あるいは一つの大きな機械の中で起こっていることのように。私のサイトはアリスとボブから絶え間なくデータを取ってくる。そして、そのデータを新しい(セマンティックな)方法で構造化して付加価値を加える。つぎに私は自分がそのようにして整理した一連のデータを流して、誰かが生データとして使えるようにする。このデータの生態系は、すべてのデータが共有や公開されていなくても、開かれた輸送システムと合意のあるプロトコルによって動いていく。

セマンティックウェブ、ワールドワイド・データベース、ジャイアント・グローバル・グラフあるいはウェブ3.0によって、見かけ上かしこそうなサービスを無数に作ることができる。各ウェブサイトに誰が私の友人であるかを何度も教える必要はない。一度だけで十分だ。文章に私の名前が出てきたら、ウェブサイトはそれが私だと知っている。私の町はウェブ上でも、別の言葉ではなくその町名で定義されている場所となる。この普遍性が私の町に関する言及において、その町に関する実際の情報へのリンクを可能にする。見かけ上かしこそうなウェブの性質は、ウェブはより多くのことを「知ろうとする」ことによる。それは意識的にではなく、プログラムによってであるが。ウェブ上に現れる概念や項目は、基本的に今のところはそういうことはできないが、相互に指し示しあってお互いのことを知るようになる。

TheSocialYOU.jpg

細部には問題がある。どのプロトコルが勝ち残るか、どの標準が普及するか、どの会社が多数派を制するか。これらは未知数である。政策も問題である。財産としての文書と計算機は、財産としてのデータよりもはるかに問題が少なかった。データを所有することは難しい点が多い。さらに同一性というとらえどころのない概念がある。ウェブはあなたが常にあなたであると知っているとして、あなたは誰なのか?個人へのサービスの代償が、全面的な個人の透明性であるならば、それは全面的な個人の監視とは何か違いがあるのか?

このような賢さは人々をうろたえさせる。人間とはまったく違う物であるのに、それは何でも知ることができて、さらにまたそのことについて何でも知ることができる。この事実は多くの人に抵抗を感じさせるだろう。でも私は子どもたちがそれを気に入ってくれると期待している。





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posted by 七左衛門 at 21:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 翻訳    
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