2008年04月26日

「私たちを作った機械」

著者 ケヴィン・ケリー Kevin Kelly
訳  堺屋七左衛門


この文章は Kevin Kelly による "The Machine That Made Us" の日本語訳である。



私たちを作った機械 The Machine That Made Us

先日、計算機科学者ジョセフ・ワイゼンバウムが85歳で逝去した。ワイゼンバウムは有名なチャットボット「イライザ」を40年前に発明した。驚くことに、この疑似人工知能は今でも私たちを楽しませ、また混乱させる力を持っている。しかしワイゼンバウムは後年、人工知能の批判者になった。計算機の比喩、すなわち、興味深いことはすべて計算であるという考え方が、私たちの文化を広範囲に征服してしまうことを彼は懸念した。考える機械を作ろうとすることで、私たちが機械そのものになってしまうと心配した。ワイゼンバウムが亡くなったこの機会に、彼の著書 "Computer Power and Human Reason" で述べられた彼の考えを再検討してみたい。

エッジ(Edge)で、ニック・カー(Nick Carr)が次のように述べている。ワイゼンバウムのこの本は「計算機およびその人間との関わりについて書かれた本の中で、今もなお最も優れたものである。細部には時代遅れの点もあるが、そのメッセージは今でも適切であり、今でも悩ましい問題である。ワイゼンバウムは要するに次のように論じている。計算機はその使用者である私たちに機械的な視点を強要する。そしてその視点は他の、おそらくは、より人間的な物の見方を容易に締め出してしまう。」そしてニック・カーは、次の一節を精査する価値があるものとして紹介している。

計算機はいかなる構造にも不可欠な要素となっている。計算機が構造に全面的に一体化され、また各種の重要な下部構造として組み込まれると、もはや全体の構造を損なわずにそれを取り除くことができないからである。これは実質的には同語反復だ。この同語反復のおかげで、私たちは気がつく。複雑な人間の行動に計算機を導入するという行為によって、取り返しのつかない責任が発生する可能性に。…… もともと計算機は戦後およびそれ以降の現代社会が存続するための必要条件ではなかった。米国政府、経済界、産業界の「進歩的」分子が計算機を熱狂的かつ無批判に受容したことによって、計算機は急速に社会の存続に不可欠な資源になり、その過程では計算機自体がその形成に貢献してきた。


この文章はよくある不安を的確にまとめている。私たちは「機械」に支配させようとして、いつの間にか自分が支配されているというのだ。

この不安について読んだとき、「私たちを作った機械」("The Machine That Made Us")という最近のBBCの番組を思い出した。このシリーズ番組は、計算機ではなくて、私たちを作った別の機械---印刷機を称賛する。それは4部にわたって、印刷が私たちの文化に果たした役割を検討している。この番組を見て気づいたのだが、ワイゼンバウムが人工知能について語ったことはすべて印刷についても言えそうだ。

そこで、私はワイゼンバウムの文章に「検索-置換」を実行してみた。「計算機」を別の古い技術である「印刷」に置き換えた。

印刷はいかなる構造にも不可欠な要素となっている。印刷が構造に全面的に一体化され、また各種の重要な下部構造として組み込まれると、もはや全体の構造を損なわずにそれを取り除くことができないからである。これは実質的には同語反復だ。この同語反復のおかげで、私たちは気がつく。複雑な人間の行動に印刷を導入するという行為によって、取り返しのつかない責任が発生する可能性に。…… もともと印刷は現代社会が存続するための必要条件ではなかった。政府、経済界、産業界の「進歩的」分子が印刷を熱狂的かつ無批判に受容したことによって、印刷は急速に社会の存続に不可欠な資源になり、その過程では印刷自体がその形成に貢献してきた。


computer-ebook.jpg

このような形で述べることで、印刷が非常に重要で基本的なものであることが明らかになる。実際にそのとおりだ。これと同様の置換は「筆記」や「アルファベット」という技術についても可能だろう。両者はどちらも画期的であり、私たちの社会に必須なものである。

印刷や筆記やアルファベットは、文化をそれに都合のよいように曲げてしまったのは確かだ。あまりにも不可欠になって、それがない文化や社会を想像することもできない。書くことがなければ私たちの文化は認識不能である。そしてワイゼンバウムが示したように、新しく組み込まれた技術は、それ以前の思考様式に取ってかわる傾向がある。口述は過去のものになり、書物の文化は口述の文化としばしば対立している。

ワイゼンバウムの主たる不安は、次のようなことであると思われる。私たちがこの新しい技術に依存するようになり、その技術には独自の計略と自己増強性があるために、私たち自身を(それがどんなものであっても)まったく変化させてしまう。

これらはすべて正しい。しかしこの練習問題で明らかになったように、私たちはこの種の自己増強的な変化を以前に何度か経験している。そして、それは良い結果になっていると私は思う。読み書きと印刷は私たちを向上させた。たとえ何かを置き去りにしたとしても。

ワイゼンバウムは(おそらく、カーも)賢くて善意あふれる古代の長老たちと同じようなものだったと思う。印刷と書物がもたらすであろう恐怖を説教していたのである。彼らは口述が消失することを、そしてこの最新流行の補助的技術が人間性を損なうことを強調した。人間には自分自身の記憶力があるのだ。諸君、それを使いたまえ!彼らはみんな仲が良かったようだ。あのプラトンだって同じことを嘆いていたのだから。

人工知能に対して不安になる理由があるのは確かだが、人工知能や計算機の、広く浸透して不可欠かつ基本的、自己増強的で後戻りできない傾向があるという事実は、不安になる理由とは限らない。それどころか、印刷や筆記に関する過去の歴史が示すところによれば、それは称賛する理由なのである。ユビキタス・コンピューティングの到来により、私たちのアイデンティティーはもう一度オーバーホールを受けようとしている。





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posted by 七左衛門 at 02:02 | Comment(0) | TrackBack(1) | 翻訳    
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グーテンベルグの印刷についてのBBCドキュメンタリー
Excerpt: Kevin Kelly のエッセイ "The Machine That Made Us" で知った、BBCのドキュメンタリー "Stephen Fry and the Gutenberg Press..
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Tracked: 2008-04-26 08:19