訳 :堺屋七左衛門
この文章は Kevin Kelly による "The Case Against 1000 True Fans" の日本語訳である。
千人の忠実なファンの反例 The Case Against 1000 True Fans
私の「千人の忠実なファン」の記事は、あちこちのブログで議論を引き起こした。あるブロガーは通りすがりに、ブライアン・オースティン・ホイットニー (Brian Austin Whitney) が何年か前によく似たアイデアを提案していたと言った。私はホイットニーのことは聞いたことがなく、その提案も知らなかった。調査中にその出典を紛失してしまったが、同じアイデアがあるものだと感心した。ホイットニーは独立した芸術家のためのコミュニティーとして“ジャスト・プレイン・フォークス”(Just Plain Folks) を組織した人である。2004年の大晦日に、ホイットニーは次のように述べている。
私たちは曲がり角を曲がりつつある(あるいは振り子が振れるのを経験している)のだと思う。新しい技術が出現し、また教科書的な古い音楽ビジネスの方法が転換する時期にあって、少数のファンに注力して、高いレベルでの直接の交流と通信によってファンに尽くす芸術家が、成功のための新しいモデルになろうとしている。成功の新しい定義は、その芸術家の創造的な作品に1年で20〜30ドル使うような熱烈なファンが世界中に5千人いる、ということだと私は考える。
その4ヶ月後の4月15日、ブログを書く音楽家スコット・アンドリュー (Scott Andrew) はホイットニーの意見を取り上げ、その考えを拡張して「5千人のファン」(5000 Fans) という表題で発表した。
ブライアンは次のように指摘している。5千人の中核的なファンがCD、チケット販売、関連商品、寄付、その他何でも、毎年20ドルずつ払うならば、1年に10万ドルの収入になる。これだけあれば、日銭稼ぎのアルバイトを辞めるのに十分であるだけでなく、さらに健康保険にも加入できるし、そこそこの車も持てる。
ところで、5千は大きい数ではあるが、さほど大きいわけでもない。それは、どうだろう、普通の野球場の8分の1と言ったところか。そして、実はそんなに多くなくても良い。さて、練習問題だ。あなたの税込年収を20で割りなさい。もし今すぐ仕事を辞めて、専業の音楽家、詩人あるいは作家になるとすれば、それが必要なファンの人数である。あなたの芸術に対して毎年20ドルの支援をしてくれる場合のファンの人数だ。年収が3万ドルであれば、その給料のかわりに、お金を払う1500人のファンが必要になる。減収を受け入れるならば、さらに少ない人数で良い。私の住むワシントン州の最低賃金で働く人は、お金を払うファンがたった700人いれば良い。
「5千人のファン理論」の魅力はその数字が、大きいけれども、かなり達成できそうだということである。職業的芸術家になるためには、世界中に何百万人のファンは必要ではない。本当に気に掛けてくれる数千人のファンだけで良い。さらに、そのファンを見つける意欲も必要だが。
私も、ホイットニーやアンドリューと同様に考える。ちょっと聞いただけの何百万人に支持されるベストセラーなどという、めったにない経歴をめざすよりも、有限で達成可能な数の熱烈なファンを求めることのほうが、重要で自由をもたらすものがあると思う。ただし、問題がある。私が論文を書くためにデータを調査したところ、いま現実に千人あるいは5千人の「忠実なファン」の支援を受けて生計を立てている人がいると納得できるような材料を見つけられなかった。それで、いろいろな分野の芸術の創作者で、方法や程度に差はあるが「忠実なファン」による支援で生計を立てているという7人から、財政について確かな情報を提供してもらった。その他にも20人ほどから断片的な情報を得たが、不十分なデータを整合性をもって解釈するのが難しいので、ここには記載していない。結果はこの表の通りである。
この表の各項目は左から右へ順に、芸術家の種類、自分に「忠実なファン」が何人いると思われるか、一人のファンがその芸術家に対して1年にいくらお金を使うか、「忠実なファン」からの年間売上合計額、全収入のうち「忠実なファン」によるものと推定される割合、「忠実なファン」の支援を受けている年数、実際にファンに販売している物品、を示している。
この調査でわかったことは次の通り。「忠実なファン」への直接販売で全ての生活費を稼いでいる人はごくわずかである。そのわずかな人は、CDのような低価格の商品ではなく、絵画のような高価な商品を販売している。直接の「忠実なファン」によって生活費の一部をまかなっている人は多く存在する。しかしこのような芸術家たちの大部分は、はっきりと注釈をつけている。「忠実なファン」を見つけて、育成して、管理して、世話することを自分でやるのはたくさんの時間がかかる。そして多くの芸術家はそのようなことをする技能や意欲を持っていない。直接の「忠実なファン」との取引によって全面的に生計を立てている人がごくわずかだという事実は、それがあまり長期間やりたいような仕事ではないせいかもしれない。
また、「忠実なファン」の世界は明らかに多くの創作者が一生あこがれ続ける目標ではない、ということも実行する人が少ない一つの理由だろう。プラチナディスクを獲得したり、ベストセラーを書いたりするかわりに、たった千人の「忠実なファン」を夢見る人がいるだろうか?誰もいない。今までのところは。
しかし、いつも楽観主義者である私は力づけられている。いくらか仕事をすれば、直接の「忠実なファン」から部分的な支援を得ることが可能であることがわかった。「マイクロ後援」はつねに選択肢として存在し、実際に多くの芸術家の生計の一部となっている。現状が従来と違うところは、技術の到達範囲と威力である。そのおかげで、芸術家を熱烈な「マイクロ後援者」にうまく引き合わせて、その結合を維持し、創作した作品を提供し、支払いを直接受け取り、興味と愛情を育成することが容易になっている。前の時代には、これら全てを実施する面倒な取引にコストがかかるせいで、「忠実なファン」に依存して生計を立てることが実際には不可能であった。私の表を見れば、今ではそれが実現可能である。ただし、大々的に実行している人はごくわずかだが。しかしロールモデルが出現し、ビジネスモデルが転換し、技術が取引コストを低下させ続けると、より多くの芸術家がこの進路を利用するようになるだろう。時間がたてばわかる。
「忠実なファン」のために開催したハウスコンサートでピアノの前に立つジャロン・ラニアー
この話題について、最後に課題を一つ提示したい。これは私の友人である音楽家(そして仮想現実の発明者でもある)ジャロン・ラニアーから聞いたものである。ジャロンは「忠実なファン」に類似した空間について、私と同様に調査しており、「それを実行している人」の実例をさがしている。彼はそれを実行していると言う人をあまり多く見つけることができなかった。実際のところ、ジャロンの現時点での結論によれば、直接のファンによる新しい環境で生計を立てている音楽家の大部分は、まず最初に従来の媒体であるレーベル、CD 、契約出演、テレビ、企業の後援などによって有名になった音楽家であるという。ジャロンの調査対象は音楽家だけであるが、彼がさがしている新進音楽家の条件は次のようなものである。
その音楽家の経歴は古いシステムの遺産(たとえばレディオヘッドのような)ではない。その音楽家は顔が売れているだけでなく、生活費を稼いでいる。ここで言う生活費とは、一人の子を育てるのに十分な安定した収入である。最後に、その音楽家の収入の大部分は、大量で規制のないファイル共有との親和性が高い「開かれた」世界において、確かな収入源から生じているものである。この収入源にはライブ演奏、自分のウェブサイトでの有料広告、関連商品販売、有料ダウンロード(iTuneのようなもの)を含むが、レーベルとの契約、映画のサウンドトラック収録、その他の古い衰退しつつあるメディアによる収入は除く。
ジャロンはこの条件に合致する音楽家がまだ一人も見つからないと言っている。すなわち、新しいメディア環境で生計を立てるのに成功した音楽家は誰もいないというのだ、誰も。「無料より優れたもの」で私が示した「生成力」に基づいて成功している音楽家がいない。デジタルに生まれて新しいメディアで生活費を稼ぐ音楽家がいない。
私はジャロンと賭をした。ジャロンの条件に適合する音楽家(またはバンド)が3人いるはずだ、と。ただしそれが誰かはわからないが。
ジャロンが間違っていることを証明するために、コメント欄にその候補者を投稿して欲しい。古いメディアモデルにしがらみがなく、開かれたメディア環境で生活費を100%稼いでいる音楽家を。
もし申し出がなければ、私はこの件ではジャロンに降参する。
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