著者:ケヴィン・ケリー ( Kevin Kelly )
訳 :堺屋七左衛門
この文章は Kevin Kelly による "Technologies That Connect" の日本語訳である。
つながるための技術 Technologies That Connect
ロングナウ財団(Long Now foundation)では、毎月「長期的思考についてのセミナー」を主催している。私はその共催者みたいなもので、聴衆から講演者への質問を交通整理する役である。今月の講演者はイクバル・カディーア(Iqbal Quadir)だった。この人は以前はハーバード大学にいたが、今はMIT(マサチューセッツ工科大学)にいる。私は10年ほど前にイクバルと知り合いになってから、携帯電話を使って世界を変えるという彼の冒険に注目している。今回のイクバルの講演は、技術がいかにして貧困を緩和するかというテーマだった。ここにその講演の概要を紹介する。
イクバル・カディーアがバングラデシュの故郷を出て、米国の大学へ入学を志願したとき、すべての大学がワシントンDCにあるわけではないことに驚いた。バングラデシュでは、重要なものはすべて首都ダッカに集中していたからである。後になって、彼はそれがバングラデシュだけではないことに気がつく。多くの発展途上国では、インフラストラクチャーは一つか二つの都市に集中していて、田舎にはほとんど何もない状態のままである。イクバルは経済学で学位を取り、経験を重ねるにつれて、このような集中化は貧しい国の指標であるだけでなく、おそらくそれが貧困の原因であるらしいと気づいた。
技術が貧困を緩和するという彼の信念の背景として、イクバル・カディーアは社会の発展の概要について説明した。500年前に西洋諸国において社会がまだ「発展途上」であったとき、その政治システムは、今日の多くの発展途上国の不安定で腐敗した政権と比べて決して良くはなく、多くの場合、悪いくらいだった。英国の国王は何代にもわたってその罪のために告発されたり、逮捕されたり、追放されたり、斬首刑にされたりしている。市民が経済市場により力を得た後になって、王による中央集権から市民による分権へと変化して、ようやく権力の均衡が取れた。中央の権威から法律、通商、教育などの権力が委譲されていく過程で、民主主義が育成された。
カディーアの考えによると、集中化それ自体が貧困を生むのではない。貧困は洋の東西を問わず、すべての社会において自然な初期状態なのだ。権力の分散は、貧困を取り除き富をもたらす推進力である。インフラストラクチャー、教育、通商が分散化される程度に応じて、それに比例して富が生じる。インフラストラクチャー、教育、通商が中央に集中する程度に応じて、貧困が残る。
多くの西洋人、とくにディジタル系の人はこの話に直感的に賛同するのだが、その一方で、貧しい国に大規模な援助をするときには、この逆の行動をとっている。カディーアの同僚ウィリアム・イースタリー(William Easterly)はその著書 "The Elusive Quest for Growth"で次のように述べている。「莫大な金額を発展途上国の援助に使ってきたが、それは助けにならないだけでなく、彼らを何十年も後退させている。今のようなやり方の援助は発展を阻害する。この不都合が起こる理由は、従来のほとんどの援助が中央の政府または政府に準ずる機関を通じて行われ、そういう公式ルートのせいで中央への集中が強化されるからである。政府が聖人ばかりであったとしても(実際には決してそんなことはないが)、大規模なお金が中央に流れていけば、資源やインフラストラクチャー、通商、教育などの分散が妨げられる。援助が届けば届くほど、現実には発展は起こりにくくなる。」
技術はこの苦境を脱する手段である。カディーアは「つながるための技術」が生産力を解放するという見解を持つに至った。彼は13歳のときバングラデシュで、薬を求めて10キロメートルの距離を歩いて行ったのに、めざす薬屋の男が不在だったので手ぶらで帰ることになり、1日を無駄にしたという経験があって、その原因は、彼の家と薬屋の間をつなぐ手段がないからだと考えた。また、それから何年もたった後、停電のために職場で電話や計算機が使えず、1日を無駄にしたことがあった。生産力にはつながりが必要なのである。中央以外にもつながりを分散させることができれば、富の増加をもたらすだろう。
つながりを分散させる方法は携帯電話だとカディーアは考えた。1990年代の初め頃、携帯電話は大きくて低機能で非常に高価だった。通話料は1分3ドルもして、金持ちだけが買うことができるものだった。しかし彼は世界中の最貧の人々に携帯電話を使って欲しいと思った。どのようにしてそれを可能にするか?
まず、カディーアはムーアの法則を信じた。毎年、電話の価格は低下し性能は向上する。それは当然のことだと思われた。「マイクロチップが貧しい人々に向かって行進している」のが見えると彼は言う。その点で彼は正しい。次に、同じバングラデシュ人であるムハマド・ユヌスの注目すべき発明に便乗することにした。ユヌスはマイクロ・ファイナンスを生み出した人である。(後にこの発明でノーベル賞を受賞した。)ユヌスの構想は次の通り。事実上何も財産のない女性が、乳牛を買うために200ドルの融資を受けることができる。そして、その牛から取れる余分な牛乳を売って借金を返済し、さらに家族のための牛乳と収入を得る、もしかするともう1頭の牛を買えるようになる、というものだ。普通はこんなわずかな金額を融資してくれる銀行はない。それも、担保となる財産もなく、教育も受けていないような人に。管理コストを考えると利益のない少額の融資には、銀行は手が出せない。しかし、ユヌスが作ったグラミン銀行は次のような事実を発見した。読み書きもできない農民たちが、実際には少額の融資を返済する可能性が高く、また高い金利でも喜んで払う。したがって、全体としてはこのマイクロ融資は大企業への融資よりも儲かるのである。
カディーアはさらに考えた。その女性が牛のかわりに携帯電話を借りたらどうだろう?グラミン銀行は貧しい人々に対して、携帯電話を買うためのマイクロ融資をした。そして、その携帯電話を村の人々に分単位で売ったり貸したりする。企業家精神を持って貸し電話屋を始めた人はそれで儲かるし、さらに重要なことは、つながりによって村全体が利益を受ける。使用料が高くてもあまり問題はなかった。つながりがまったくない状態で、つながりを得るためには高くても喜んで払うのだ。カディーアがグラミン電話を始めたときの基地局は五つだけだった。その後グラミン電話は5千の基地局を持つに至った。
カディーアが電話ビジネスを始めた1993年、バングラデシュでは電話が500人に1台しかなく、世界でも最も電話普及率の低い部類だった。グラミン電話のプロジェクトは2500万台の電話機を送り出した。今日では電話機の数は当時の100倍、すなわち5人に1台の割合になっている。カディーアが想像したとおり、このつながりの分散化は生産力を向上させた。つながりがない状態では、人々は経済活動において多くの時間を浪費する。携帯電話によるつながりができたおかげで、農民は遠くの市場での現在の価格を知って利益を最大化することができる。牧羊業者は獣医を呼んだり、薬を注文したりできる。ある調査によると、電話機1台の耐用年数間の総コスト(基地局や交換機を含む)は約2千ドルであるのに対して、電話機1台による生産力の増加は5万ドルに達するという。そして驚くべきことに、最初に貧しかった国ほど、つながりによる生産力の向上が大きい。
いろいろな伝説のせいで、開発援助の善意がぼやけてしまう、とカディーアは言う。たとえば次のような伝説である。貧しい国には資源がない、貧しい人々には自由に使える支出がない、ブランドに関心がない、信用リスクの状態が良くない、など。このような仮定は誤りであることが何度も何度も証明されてきた。そしてまた、グラミン電話もそれを証明した。グラミン電話が打破した重要な伝説は、技術の発展のために政府が補助金を出す必要がある、というものだ。実際には、貧しい人々の生産力を向上させれば、多くのお金を儲けることができる。カディーアが言うように「貧乏人で儲けるのではなく、貧乏人と儲ける」のである。ディナーの席で私はイクバル・カディーアに「グラミン電話であなたが成功した秘訣は何だったのか」と尋ねたところ、「多くの株を持ち続けたこと」という答えであった。
今、カディーアは分散すべき次の技術、すなわち貧困を打ち消す道具となるものをさがしている。彼はMITのレガタム開発・起業活動センターの所長である。この組織は5千万ドル(約50億円)の基金をもとにして設立されたものだ。カディーアはエネルギーが今のように極度に集中して生産される状況を解消することができるかどうかについて研究している。発電所で生み出された電気のうち、送電線の末端の家庭や工場に届くのは、たった10%だけである。たぶん発電を分散させる方法があるはずだ。それは地元レベルでつながりを生むきっかけとなり、彼の構想では、それによって富と民主主義が成長する。もし実現したら、分散エネルギーは豊かな国でも役に立ち、世界のこちら側でも富と民主主義を増強するだろう。
講演の中でカディーアは何度も繰り返していた。「生産力(および富)を増加させるには、つながりを強化すればよい。それだけのことだ。」ジャロン・ラニアーの提案によると、ある技術が望ましいものであるかどうかの判断基準は「つながり」である。その技術が人や場所や物のつながりを増大させるか、それとも減少させるかを自問自答すべきである、とジャロンは言う。つながりを増やす技術は、役に立つものである可能性が高い。今のところ、そうでない例を一つも思いつかない。
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