訳 :堺屋七左衛門
この文章は Kevin Kelly による "Will We Let Google Make Us Smarter?" の日本語訳である。
私たちはグーグルで賢くなるだろうか? Will We Let Google Make Us Smarter?
『グーグルで人間はバカになるか?』
これはいつも挑発的なニック・カー (Nick Carr) が書いた今月のアトランティック (Atlantic) の記事の題名である。カーは自分で認めるとおり心配性である。新しい技術は人間をバカにしてしまうと心配する人は昔から大勢いるが、その長い行列に連なる人である。実際のところカーは、古代の心配性の人々がみんな間違っていたことを示す例をまとめるという良い仕事をしているのだが、自分自身の心配を本気で受け止めるのは困難なようだ。
たとえば、新しい技術で人間がバカになりうる証拠として、彼はドイツの作家ニーチェに関する話を紹介している。ニーチェは晩年、目が見えなくなってペンで字を書くことができなかった。しかしマリング=ハンセン・ライティングボールというタイプライターを使って、タッチタイプ(見えなくてもできる)を習得した。(ところで、この機械は最高にイケてると思う。ここで動画を見てほしい。)

しかし……
ドイツのメディア学者フリードリヒ・キットラーは次のように書いている。機械による支配の下でニーチェの文章は「議論から格言に、思想から語呂合わせに、美辞麗句から電報文に変わった。」
彼の文体の変化は機械を使ったことによるものか、それともニーチェ自身が年老いて死にかけていたからなのか?
同様の疑問として、ウェブが大量の短い文を生み出しているのは、カーが心配するように、私たちの精神がバカになってきて長い文章に集中することができなくなったためなのか、それとも、過去にはそんな短い文を大量に作っても利益にならなかったのに、ついに今では短い文という荷物のための輸送手段と市場が現れたのだろうか?私は前者には懐疑的で、後者のほうが正しい説明ではないかと思っている。
カーはその記事の最初で、自分がグーグルを使っている間はどんなに賢くなるかを描いている。もしカーが正しいとしたら?私たちがグーグルから離れるとバカになるけれど、グーグルを使っている間は賢くなるとしたら?それはあり得ないことではない。実際には、きっとあり得ると思う。
問題は、グーグルから離れるか、それとも常に使い続けるか、ということだ。
グーグルという人工知能から離れたときに自分本来の知能指数から20点減点されるという罰があったとしても、大部分の人は常にグーグルに接続して知能指数に40点上乗せされているほうを選ぶだろう。
少なくとも私はそうする。
この作品は、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています。