2008年07月25日

「愛のロングテールというしっぽを振る」

著者:ケヴィン・ケリー ( Kevin Kelly )
訳 :堺屋七左衛門


この文章は Kevin Kelly による "Wagging the Long Tail of Love" の日本語訳である。



愛のロングテールというしっぽを振る  Wagging the Long Tail of Love

セス・ゴディンは、クリス・アンダーソンの「ロングテール」という考え方について研究している。よく誤解されるこの概念に対して、いつものようにセスは明快に解説する。彼は最近、ロングテールには三つの「利益のポケット」があるという分析を投稿した。そこにはこんな図が示されている。


profitpockets583_2.jpg

セスによる(そして他のほとんどの人も)ロングテールの説明には、明らかなどんでん返しがある。グラフ上のポケット1では、セスは作品の創作者の観点で論じている。グラフ上のポケット2でも、同じく創作者の視点である。しかしロングテールになると、創作者から切り替わって、他の創作者の作品を集積する業者の観点で論じるようになる。それはなぜか?創作者はどうなったのか?ロングテールという「利益のポケット」の話になると創作者が脱落するのは、ロングテールは創作者にとっては利益が出ないからである。その採算性は視聴者と集積業者だけのものなのだ。

私が疑問に思うことはもう一つある。セスはその前の投稿で「ロングテールの中にあるフラクタルのロングテール」(すべての物にはそれぞれにロングテールがある)と述べていたが、それは、自分にとってのニッチの中であってもできるだけ先頭の近くにいたいということ以外に、役に立つものなのかどうか。それは頭を使うほどでもない、簡単なことだ。集積業者になることは、創作者にとっての選択肢ではない。私の知るかぎりでは、自分自身の作品を集積するだけで、十分な量の新しいものを作り出せるほどの生産力のある創作者はほとんどいない。集積業者と創作者とは本質的に異なるものだ。

したがって境目を通って -- ショートヘッドからロングテールへ -- 移動するときには、集積業者の視点から見るのか、または創作者の視点から見るのか、首尾一貫していなければならない。その両者を混同するのは誤りだと私は考える。

私はこの問題としばらく格闘してきたが、次のように考えるに至った。私が見るところ、創作者にとってロングテールの唯一の利点は、今まで存在しなかったロングテールの領域を集積業者が開発あるい創出できるということである。セスが作ったスクイドゥー (Squidoo) のように。スクイドゥーやアマゾンやネットフリックスが出現する以前は、今これらの業者が流通させているような多くの創作物のための市場はまったく存在しなかった。ロングテールの集積業者が創作者に示すことができる提案は、重大だが単純である。ごくごくわずかなニッチの視聴者(と微少な利益)か、それともまったく視聴者がいないか、の選択である。ロングテールが広まる以前は、あなたが書いた「紅海産の観賞魚を飼育する方法」という名作にお金を払うファンは一人もいなかった。今なら100人くらいはいるかもしれない。

100人の読者や視聴者は経済的ではない。そんなに少ない購入者では、継続的に創作するための利益を上げ続けるようなビジネスの方程式はない。(もちろん創作よりも上のレベルで、集積事業を支援することはできる。)しかし、ロングテールのニッチな創作が完全にうまく働く場合がある。情熱、熱意、執念、好奇心、仲間意識、愛、そして贈与経済の領域である。精神的なエネルギー、励まし、人生の意義、生きる理由などをやりとりして、ロング・ナウ(長期的思考)が得られる。

これは利益については正しくない。経済上は、ロングテールが延びれば、視聴者の限られた注目と競合するものがより多くなり、創作者が作品を売って利益を得ることがより困難になる。すなわち、テールが長ければ長いほど、売上は悪化する。しかしロングテールは異なる種類の市場だと見ると、つまり熱意とつながりの市場と見れば、ロングテールが延びるにつれて、二人の熱狂者が出会う可能性が高くなるので、テールが長ければ長いほど良い。グラフ上の最初の二つのポケットは、利益を最大化しようとする。最後のロングテールというポケットは、情熱とつながりを最大化しようとする。

ロングテールにはさらに間接的な長所がもう一つある。あなたの創作物が市場に(今までは存在するはずのなかった場所に)存在しているのであるから、もしも幸運であれば、アップテールへ向かって移動し始める可能性もある。創作力があれば、ロングテールの経済的低迷から抜け出して、グラフ上の2の領域、すなわち千人の忠実なファン、その他、中くらいの成功が存在する位置に移動できるかもしれない。私が「千人の忠実なファン」で論じているように、これが創作者として目指すべき位置である。セスはこれを「利益の出る成功したニッチの作品」のポケットと呼んでいる。私はそれに賛成する。ポケット1ではなくて、このポケット2が目指すべき位置なのだ。

しかしグラフ上の1および2の部分と同じ測定基準-- 創作者にとってのドル価値 -- に従って3の部分を公平に評価するならば、ロングテールは利益の砂漠である。このポケットを追求することが意味あるものになるためには、切り替えが必要である。ポケット3では、支配者である集積業者の視点で見ることに切り替えるか、あるいは、この領域は別の経済、すなわちドルで動くのではない経済だという見方に切り替える必要がある。

言い換えれば、スクイドゥーやアマゾンやネットフリックスは、利益の出るロングテールをとても幸福なものにしている。しかしその幸福なロングテールは創作者を幸福にはしない。

私はロングテールというのは異なる動物のテール(しっぽ)であると考えている。私たちはテールの根もとにある、見えない存在の認識を誤っていた。「商業的利益という野獣」のロングテールではない。そうではなくて「愛というドラゴン」のロングテールなのだ。創造や制作、つながり、説明できない情熱や差別化などへの愛、あるいは人間にとって重要な行為に対する愛、そして、つながること、与えること、学ぶこと、創造すること、共有することへの愛である。

重要なのは、私たちがどちらのテール(しっぽ)を振っているのか知ることである。





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posted by 七左衛門 at 20:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | 翻訳    
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