2008年09月13日

「知性の可能性を示す地形図」

著者:ケヴィン・ケリー ( Kevin Kelly )
訳 :堺屋七左衛門


この文章は Kevin Kelly による "The Landscape of Possible Intelligences" の日本語訳である。



知性の可能性を示す地形図  The Landscape of Possible Intelligences

"A Taxonomy of Minds"(知性の分類学)という記事で、私は人類よりも優れた知性について、そのありうる種類を考察した。人間より優れた知性として、宇宙人ETに出会うこともありうる。あるいは私たち人間が人工的な知能を作るかもしれない。人間が自分で新しい知性を作るという場合の基本的な前提として、人間は新しい別の知性を作るのに十分な知性を持っているという仮定がある。人間に知性があると言っても、それだけの理由で人間が自分で知性を作ることができるほど賢いとは限らない。人工知能ができるかどうか(あるいは、いつできるか)は、結局のところ、私たちが自分より賢いものを作れるほど賢いかどうかによって決まる。蟻はこのレベルに達していないと思われる。さらにチンパンジーみたいに賢い動物でも、自分より賢い知性を作れるほど頭が良いわけではないので、その境界線に達していないと思われる。私たちは知性がブートストラップする(自分で自分を引き上げる)ための境界を知らないし、また私たちがその基準でどのレベルにあるかも知らない。

ブートストラップの観点から、基本的な知性をいくつかに分類することができる。

(1) より優れた知性を想像し、あるいは識別することができる知性。
(2) より優れた知性を想像することはできるが、設計することはできない知性。
(3) より優れた知性を設計することができる知性。

人間は1番目の基準には適合しているが、2番目または3番目の分類の知性であるかどうかは不明である。3番目の次には4番目の知性もある。

(4) ある知性がより優れた知性を作って、その知性がさらに優れた知性を作って……と続く。

これは連鎖的であり、ブートストラップする知性である。知性がこのレベルに達すれば、知性の拡大が繰り返されて無限に続いていく。あるいは、何らかの限界に達するかもしれない。その一方で、知性にはまだこの他にも境界がある。それは量子準位だと考えるとよい。ある知性が自分よりも優れた知性を作ることができたとする。しかしその結果としての知性は、次なる飛躍のために十分な賢さでないかもしれない。そうなると、そこで行き詰まる。

知性のレベルがハシゴのようなものだと考えて、そのハシゴの段は均等でないとすると、いずれかの知性には達成できない跳躍、あるいはその後継者が跳べない跳躍があるかもしれない。だから3番目の分類の知性は、ブートストラップの4段階まで上がっていくことができても、5段階には行けないかもしれない。私は知性は直線状ではないと思っている(すなわち、知性は複数の次元で成長すると思っている)ので、ブートストラップする超越した知性の問題は、起伏の多い進化の地形をたどって動いていくことだと考えると良さそうである。

intelligencelandscape.jpg

このグラフは、高さが高いほどよく適応していて、形態に適合していることを示している。それぞれの山は、異なる種類の環境であり、異なる種類の形態を示す。すなわちこの図は、いろいろな種類の知性の地形を表している。知性が山を高く登れば登るほど、その種類の知性として最適である、あるいは完璧であるということになる。

適合性をあらわす地形が非常に起伏の多い場合には、ある形態での局所最適から抜け出せなくなる危険がある。ある生命体が、局所的な条件で最適な種類の知性を完成させたとしても、この完成のせいで自分をその場所に閉じこめて、どこか別のもっと優れた最適な場所へ到達できなくなってしまう。言い換えれば、より高いところへ進化できるかどうかは、知性の能力だけの問題ではなく、種類の問題でもあるのだ。ある種の思考において強力で最適な知性であっても、それが別のもっと高い山の頂点に到達するための障害を乗り越えられないこともある。ある種の知性が現在の方向にどんどん強力に進化し続けていたとしても、新しい能力に到達するために方向を転換することができないかもしれない。すなわち次の世代をブートストラップすることができない。そしてまた別の種類の知性は最適ではなくても、もっと機敏に動けるかもしれない。

今のところ、知性の可能性を示す地形がどのようなものであるか、私たち人間にはまったくわかっていない。動物の知性についてさえ、図示できない。他の自己意識がある知性について、図示した実例を知らない。進化の地形上を移動してみると、それは非常に滑らかなのかもしれないし、あるいは、非常に起伏が激しくて知性が進化する道筋ごとに異なるものなのかもしれない。

私たちはごくわずかの種類の知性についてしか経験がないので、知性の種類やレベルに限界があるのかどうかまったくわからない。計算機の限界は計算できるが(そして、セス・ロイドのような人はまさにそれを実行したのだが)、今私たちが考えている知性は、計算機と同じではないと思う。インターネット全体は計算機としては人間の脳よりも大きいが、私たちが望むような賢さではない。一部の人々、たとえばスティーブン・ウルフラムは、計算能力は1種類だけしかなく、唯一の普遍的な知性というようなものが存在すると考えている。だが私は、何億種類もの知性が存在すると考えたい。

最近、ジョージ・ダイソンとの会話で、基本的な知性には5番目の分類があることに気づいた。

(5) より優れた知性を設計することはできないが、より優れた知性が創発するような基盤を築くことができる知性。

この分類の知性は、自分と同じ知性を生み出す方法は把握していないが、何かの力に押されて新しい知性が創発するような進化の条件を整える方法を知っている。ダイソンと私は、これがウェブやグーグルで起きていることだと考える。はっきりとしたトップダウンの設計者がいなくても、知性が形成されている。今はまだその知性は頭が悪いけれど、成長を続けている。それが人間に近いところ、あるいは人間以上にまで続けて成長するかどうかは、もう少し様子を見ないとわからない。しかし、この萌芽期の賢さがずっと成長を続けていけば、それは知性を作り出す新しい方法を示すことになるだろう。もちろん、このような間接的な方法で自分よりも賢いものを作ることは、知性がブートストラップして進化する繰り返しの中のいずれかの時点でも使うこともできそうだ。たとえば4世代目か5世代目あたりの知性は、次の世代を設計することはできなくても、次の世代が創発するためのシステムを設計することはできるというものになるかもしれない。

知性は一つだけと考えがちだが、生物学的に考えてそんなことはなさそうである。そうではなくて、知性は複数で多様で繁殖力がある。長期的に見て重要な問題は、これらのさまざまな知性ごとに進化の可能性に差があることだろう。どの種類の知性がブートストラップする能力を持っているか?そして私たち人間はそのうちの一つであるだろうか?





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posted by 七左衛門 at 21:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 翻訳    
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