2008年09月18日

「何でも計ることが安すぎる」

著者:ケヴィン・ケリー ( Kevin Kelly )
訳 :堺屋七左衛門


この文章は Kevin Kelly による "Everything, Too Cheaply Metered" の日本語訳である。



何でも計ることが安すぎる  Everything, Too Cheaply Metered

経済的な豊かさのもたらす結果について調査していると、米国原子力委員会の委員長ルイス・ストロースが1954年に述べた「いつの日か、原子力発電は安すぎて計れなくなるだろう。」という悪評高い言葉をクリス・アンダーソンが再び取り上げていた。

有名な文句の常として、その裏には秘められた物語がある。「安すぎて計れない」という言葉の背景や歴史をアンダーソンが調べたところ、「安すぎて計れない」というのは、電気が無料になるだろうと言っているのではないことに気がついた。計量するための費用が電気の原価を上回るというだけなのだ。でも、ストロースが正しいことを言っていたとしたら?少なくとも電気について。もし電気が無料だったら?

巨大な太陽電池パネルを家の屋根に取り付けている友人がいる。場合によっては「安すぎて計れない」らしい。晴れた日には自分の家で必要とする量より多く発電して、この余分な電力が電気メーターを逆に回す。さあどうだ、メーターの奴め!アンダーソンが指摘するように、私たちが使っている通信容量やデータ記憶容量は、安い電気と同じようなものである。単なる安価な公益設備であって、それに関心を向けることはほとんどない。いつの日か、私たちはダウンロードする量より多くのディジタルビットを生成して、アップロードするようになるかもしれない。しかし、たいていの場合、私たちはビット当たりいくらの料金を払っているか気にしていない。それが些細な金額だからである。しかもビット当たりの料金は低下し続けており、私たちにもっと使うように仕向けている。

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しかし、「安すぎて計れない」という言葉から、私は別の教訓を得ている。

電気を計る(計量する)ことは、無料の電気よりもさらに安いのだ。すべての太陽電池パネルは無料の電気を監視し計量している。情報の監視はとても安いので、すべてを計るのをやめるという理由がない限り、計量することはどんどん安くなっていく。はっきりさせておこう。「計量」という言葉は古い用法では、監視と課金の両方を意味していた。電力会社は課金するために、利用状況を監視していたのである。しかし新しい豊かさの経済においては、利用に対して課金しなくても、利用を監視するだけで新しい価値を引き出すのには十分である。

無料の電子メール、無料の記憶容量、無料の画像処理ツール、無料の家系図共有、無料の電話サービス、無料のツイッター、無料の……そして、ほとんど無料の何やら……、いずれもホスト・コンピューターが私の利用状況を監視(計量)していると知りながら使っている。

あらゆるものを監視すること―すべての物質の流れ、すべてのエネルギーの流れ、すべての人の流れ、すべての注目の流れ―これらは自然に、データの流れに関するデータの川となる。大洋とまではいかなくても。このメタデータの洪水は、通信と計算機利用の費用が「安すぎて計れない」ために起こっている面もある。しかし実際には、メタデータは安すぎて計らずにはいられない―それを数えて監視するだけという意味で。ビットの原価が低下するにつれて、メタデータの各ビットを計量する価値は上昇する。

一見したところ、あらゆるセンサーからのデータが雪崩のように流れていて、それが1日24時間、週7日、年365日続くと、私たちは溺れるのではないかと心配になる。すべての電子メール、今までに見たすべてのウェブページ、そして、打ち込んだすべてのキーを記録しておくことにどんな価値がありうるのか?過激なセルフ・トラッカー(自己追跡者)やライフ・ブロガー(生活ブロガー)を見て私たちが学んだのは、至る所での監視は最初は無価値のように見えるが、些細な行動データの流れは、後になって非常に貴重になる場合が多いということである。あなたの毎晩の睡眠パターンは、今は無価値であっても、将来、突然の病気で睡眠が乱れるようになったとしたら、非常に貴重な基準データになるかもしれない。ビジネスでも同様に、普通の顧客の行動を大量に記録したものは、今は面倒なだけであっても、将来の製品やサービスについて新機軸を打ち出すための、そして、それが失敗かどうかの判断を支援するための基礎データになるかもしれない。

世界が次のようなものだと想像してみてほしい。あなたは過去のデータの任意の組合せを入手できる。誰もが自分の気に入った一連のデータを、自分が欲しいと思う歴史の中から取り出す。そんな宝の山があったら、私たちの人生は変わるだろう。そういうわけで、すべてを監視することが一般的になる。安く計量できるデータは、実際のところ、無料の経済を推進するものだ。計量は注目の一種である。製品やサービスは、その利用に関するメタデータと引き換えに無料で渡される。無料に関するデータは、今では無料の物それ自体よりも貴重である。

グーグルやウェブ2.0企業はこれを実現している。物に関するデータは物自体よりも貴重であるから、彼らは何でもできる限り計量する。彼らは物に対する注目(メタデータの一種)を売ったり買ったりしている。計ることで得られる価値によって、無料経済が可能になるという議論もありうるだろう。多くのものが安く計れるので、私たちは豊富な無料を持つことになる。

長い目で見れば、計ることによって価値が高くならないものはない。(これを繰り返し適用すれば、計ること自体についても、安すぎて計れないということはない。したがって、計量を計量することも良い戦略となる。)私たちは新しいセンサーをどんどん発明している。すべての物をすべての次元で、すなわち地理的位置、速度、消費、衛生、健康、回復可能性、結合、業績、休息、負担、その他、数多くのベクトルについて、安く正確に絶え間なく計測できるセンサーを。この新しい環境にもとづいて、そこから意味のあるパターンを解析し予言する能力は、きわめて重要であり切望される。この計量情報への門を制する者が王者となるだろう。

商品やサービスの流れが、世界経済の最初の基礎を作った。データの流れが2番目。データのデータ、すなわちメタデータに対する注目をもとにして築く経済へ、今私たちは向かっている。そしてその次には、注目に対する注目の上に経済を築くのだろう。

このような経済においては、革命的変化も安価に計量できるだろう。結局のところ、ビットとは計量されるのを待っている変化なのである。





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posted by 七左衛門 at 21:50 | 翻訳