2008年10月15日

「13世代」

著者:ケヴィン・ケリー ( Kevin Kelly )
訳 :堺屋七左衛門


この文章は Kevin Kelly による "13 Generations" の日本語訳である。



13世代  13 Generations

賢明な社会は長期的な視野を持っている。たとえば、環境に対して、野生の生物や家畜の、あるいは外国から渡来した生物の遺伝子の配列を操作した結果として、千年後に何が起こるかについて、賢い文化ならば自問自答するだろう。使用済み核燃料が千年後にどうなっているか、とか。

千年先というのは、考察しようとしてもあまりにも遠く離れすぎている。とくに、来年の夏休みの計画を立てるのにも困るような、忙しい現代人にとっては遠すぎる。10世紀もの期間は、私たちの寿命よりずっと長いし、私たちの想像の範囲を超えている。だから私たちはそれを自分とは無関係で手の届かないもの、あるいは、まったく考える価値のないものとして片付けている。「特異点」という考え方は、この難しさから得られる結果である。「特異点」の信奉者たちは、疑似科学的な用語を使って、今から千年後を想像することが事実上不可能だと宣言しているのだ。しかし「特異点」を信じていなくても、年単位で考えると千年は永遠のように思える。

しかし人間の生涯を単位として考えると、見かけよりも近そうである。

歴史の大部分において、文化に関する時間の単位は、年ではなくて人間の世代であった。遺伝、血筋、罪、約束、義理などが世代にわたって受け継がれてきた。人が過去を振り返るとき(未来という考え方はその頃にはない)、世代の観点で考えてきた。人間は世代の移り変わりを記憶して暗唱した。聖書の「歴代誌」では、次に示すように典型的な世代の名簿を一族の父から子への13世代にわたって列記している。

エルアザルにはピネハスが生まれ、ピネハスにはアビシュアが生まれ、アビシュアにはブキが生まれ、ブキにはウジが生まれ、ウジにはゼラフヤが生まれ、ゼラフヤにはメラヨトが生まれ、メラヨトにはアマルヤが生まれ、アマルヤにはアヒトブが生まれ、アヒトブにはツァドクが生まれ、ツァドクにはアヒマアツが生まれ、アヒマアツにはアザルヤが生まれ、アザルヤにはヨハナンが生まれ、ヨハナンにはアザルヤが生まれた。
(日本聖書協会 『聖書 新共同訳』 歴代誌上 5章30〜36節)


父となる年齢が平均して25歳であるとすれば、この13世代の期間は300年以上になる。

有用と思われる世代の定義は、父子関係以外にもある。生涯すべてを世代とみなすこともできる。そうすると、世代とは誕生から死亡まで、誕生から死亡までを何度も繰り返すもので、平均72年くらいになる。宝物を受け継いでいくと想像してみよう。ここで必要な条件は、ある人が宝物を伝達するために、その存命中に次に引き継ぐ人間が(たとえ1日だけでも)生きていなければならないことだ。その宝物は、たとえばポケットサイズの図書館、何かの知識、あるいは何かの知恵というような人工物だろう。それはある持ち主から次の持ち主へと連鎖的に伝えられるものである。前の持ち主が死ぬ前に誰かが生まれている限り、世代の連鎖は途切れない。

人間は頭の中に世代を保持して進化していく。千年のうちに何世代が存在するだろうか?最近、私は自分の世代の連鎖を仮想的に作ってみた。私が生まれた直後に亡くなった有名人をウィキペディアで検索した。数分かけてさがしてみると、探検家のスヴェン・ヘディン (Sven Hedin) が見つかった。さらにヘディンが死ぬ直前に生まれた人(訳注:本来は「ヘディンが生まれた直後に死んだ人」が正しいはず。)をウィキペディアでさがした。ちょっと調べれば、たった13人の連鎖によって千年をさかのぼることができた。

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この仮想的な連鎖では、1011年に生まれたバーガンディ公 (Duke of Burgundy) が、彼の成功の秘訣を個人的にハンガリー王 コロマン (Coloman of Hungary) に伝授し、そこからロジャー・ド・クレア (Roger de Clare) に、という具合に次々に伝えてスヴェン・ヘディンに至り、彼が死ぬ前に私に伝えたことになるはずだ。

この連鎖に登場する有名人のいずれにも私は会ったことがない。だからこの途切れない連鎖というのは純粋に想像上のものだ。普通の人が生まれた年の記録などほとんど存在しないので、私としては、互いに出会う可能性のありそうもない有名人を使わなければならなかった。昔にさかのぼるほど、個人の記録はあまり残っていなくて、最適な世代の連鎖を作ることが困難になる。誰かが亡くなったという記録は時折見かけるが、生まれた日付まで記録に残っているのは有名人だけである。

しかし、普通の家庭にいる無名な人々も、同じ期間の連鎖を容易に作ることができそうだ。偉大な祖父が死ぬ前に、偉大な孫が生まれる。祖父が幼児を抱き上げて、たぶん何らかの間接的な方法で、祖父の知恵を次の世代に伝達することが考えられる。

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70歳の人が立って腕を両側に伸ばしているところを想像してみよう --- 自分の誕生という過去から、自分の死という未来へ向かって。その指先は前の世代と、そして次の世代とに触れている。さしのべた手の連鎖は、それぞれが70年を表していて、彼らの人生を千年以上に引き延ばすためには、たったの13人が並んでいればよい。

もし私が過去へ向かって13世代を跳んでいったら、西暦1000年に着地する。でもなぜそこで止まるのか?そこから「誰かが死ぬ前に生まれた」世代をさらに13世代たどれば、西暦10年、イエス・キリストの生きていた頃に到達する。

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すなわち、私とナザレのイエスの間にたった26人の世代があるだけだ。私とイエスの間に、あるいはシーザーやアレクサンドリアのヘロン (Hero of Alexandria) との間に、26人が指先と指先を触れながら、時間を越えてつながっている人間の橋を作ることができる。26人ならば一つの部屋に収容することも可能だ。

このように計算すれば、千年でも2千年でもそんなに遠くはない。千年に及ぶためには、たった13人の生涯の期間でよい。自分から西暦1000年までつながる13人の名前のリストを作ることができる。過去の多くの人もそうだろう。

逆の方向に進んでいくと、13人(寿命が延びれば、たぶんもっと少なくても良い)で私たちから西暦3000年までつなぐことができる。あなたと西暦3000年の間に、たった13人の生涯があるだけだ。生涯の期間という観点では ---医学の進歩によってそれは着実に延びている--- 10世紀先というのはすぐ隣にあるようなものだ。

しかし、技術の変化という観点から見れば、千年は他の銀河と同じくらい遠い。前世紀の間に発生した革命的技術を思い出してほしい。自動車、薬品、デジタル通信、ジェット機。そして、これが十倍に、あるいは百倍以上にもなるのだ。千年後の世界に着陸するのは、見知らぬ惑星に着陸するようなものだろう。

だが、人類は今後13人の生涯の期間内に、この見知らぬ惑星に着陸する。そして、そのことは私たちにも想像することができる。





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posted by 七左衛門 at 21:56 | 翻訳