2009年04月22日

「柔軟性を拡大する」

著者:ケヴィン・ケリー ( Kevin Kelly )
訳 :堺屋七左衛門


この文章は Kevin Kelly による "Expanding Flexibility" の日本語訳である。



柔軟性を拡大する  Expanding Flexibility

生命がなければ柔軟性は存在しない。生命がない原始時代の世界は硬直している。

この惑星から生命そのものが消滅したとすれば ――"The World Without Us"(邦訳「人類が消えた世界」)という本のように人類だけではなく―― すべての生命が突然消えてしまったら、人間の創作物の残骸は硬直し、そして崩壊する。何年もの間、私たちの都市の地盤はしっかりとしているだろう。高層ビルは空に届き、郊外の住宅地は見渡す限り広がる。だが間もなく、まず最初に、酸素が豊富な生物世界の大気によって、金属やプラスチック、そして有機物が腐食し始める。生命体にしても人工物にしても、柔軟性、適応性、屈曲性、密閉性があるものは何でも、そのまま放置されると硬くなる材料でできている。ゴムは空気中でもろくなる。封止剤は腐朽して漏れるようになる。鉄は錆びて膨張する。たいていの金属は酸化して剥落する。金などのわずかな物質だけが、時の経過によっても変化せずに残る。しかしこのような金属はごく限られた柔軟性しか持たない。

人間は不活性物質をほとんど使っていない。なぜならば、そのとおり、不活性だからである。人間が生産し消費するものは、そのほぼ100%が化学的物理的に活性がある。生物(たとえば細胞)でも技術(たとえば工場)でも、このような物質を処理し、活性化して有用なものにする。鉄鉱石に含まれる鉄を還元し、有機物に含まれる炭素を結合させ、その他の元素にも適切なエネルギーを与えて、自然の生物世界および人工の技術的世界の構成要素を作る。しかし維持管理をしなければ、これらの柔軟性のある素材は消滅する。

生命体は明らかに、死後、腐朽する。建物や橋に使われる耐食性のステンレス鋼や銅でさえも、時間が経つと腐食して機能を失う。防水のために使われるほぼすべての材料は、時間が経つと機能しなくなる。水は非常に腐食性の強い液体であり、どんな素材も、また有機材料も、それに触れると腐食する。コンクリートや石は、水がしみこむと崩壊する。金属がさびると、蝶番が動かなくなる。さびが膨張して、コンクリートをさらに砕いてしまう。可動部品が止まる。プラスチックが細かく割れる。シリコーン樹脂の封止剤は乾燥する。あらゆる物が固化する。たとえ太陽が輝き続け、風が吹いて、波が打ち寄せたとしても、この押し寄せる大量のエネルギーは無能になり、柔軟性のない構造物で浪費される。エネルギーは好ましい結果を生むことなく、構造物の上を通り過ぎていく。

物質の世界が柔軟性を保つためには、生物や技術的システムに対して集中的に、統制されたエネルギーを投入する必要がある。金属は清掃したり、交換したり、保護したりしなければならない。柔軟性を維持するには、かなりのエネルギーのコストが必要である。もしも適合性や屈曲性や柔軟性を確保する作業をしなければ、創造や成長や生命もなくなる。

そうなれば、この世界は通過するエネルギーを捕まえることができず、冷たく静止して硬直した世界に戻る。知性も同様に、通過する発想の流れをつかまえるためには、柔軟性と屈曲性がなければならない。

この広大な宇宙の中で、柔軟性は貴重である。それは「自然の」状態ではなく、他の柔軟な媒介者によって(皮肉なことだが)維持管理されなければならない。有機物であっても無機物であっても、柔軟性は生命のしるしである。

技術的なシステムは柔軟であり、それは生命のしるしである。技術が求めるもの、そのひとつは、より多くの柔軟性である。より統制された動作、いろいろな動き方、より多くの種類の動作、さらなる屈曲性、さらなる適合性、高度な相違を得るためのいろいろな方法、動作に関するあらゆる相違を維持するための方法などである。

死んだ宇宙、生命のない惑星、あるいは技術のない地域には、そのようなものがまったく存在しない。相違は消失し、統制された動作は停止し、柔軟性は消滅する。そこに残るものは、柔軟性のない物理法則、発散するエネルギー、そして永遠の同一性である。

しかし柔軟性の拡大が見られるところには、必ず生命と知性の発展がある。





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posted by 七左衛門 at 21:40 | 翻訳