2009年05月01日

「新しい種類の知性」

著者:ケヴィン・ケリー ( Kevin Kelly )
訳 :堺屋七左衛門


この文章は Kevin Kelly による "A New Kind of Mind" の日本語訳である。



新しい種類の知性  A New Kind of Mind

毎年、ジョン・ブロックマン(私の著作権代理人であり友人でもある)は科学者の友人や顧客たちに「大問題」を問いかけている。今年の質問は「世の中のあり方が変わるほどの科学的知見または研究開発成果として、あなたの存命中に出現すると思われるものは何か?」であった。 私の回答を以下に示しておくが、ジョン・ブロックマンの「2009年エッジの質問」サイト(2009 Edge Question)に行って、他の50件ほどの投稿も読んで欲しい。とても興味深いものが多い。特にダニー・ヒリスの回答は、私の回答と共通するものがあって気に入っている。




「すべてを変えてしまうものは何か?」

それは新しい種類の知性である。

「すべてを変えてしまう」ものとして、安くて強力でどこでも使える人工知能 ―自分で学習して向上していく、作り物の知性― に匹敵するものは考えにくい。ごくわずかな本物の知性を既存の処理過程に組み込むと、その効率は別の次元にまで高められる。今、電気を使っている場所ではどこでも、(人工の)知性を作用させることができるようになる。人間が電気を使い始めたときの変革も強力だったはずだが、今後起こる変化は、私たちの生活にとってその何百倍も破壊的になるだろう。人間が人工知能を使うようになっても、従来の能力を利用していたのと同じやり方、すなわち一見ばからしいことに無駄使いすると思う。もちろん、人工知能を使って、ガンの治療や解決困難な数学の問題などの難しい研究をする計画もあるだろう。しかし、本当の破壊的変化は、自動販売機や靴、書籍、税務申告書、自動車、電子メール、心拍計などの中に、したたかな知性が組み込まれることによって起こる。

この付加的な人工知能は超人的でなくてもよい。人間に似ている必要さえもない。実際のところ人工知能の最大の利点は、人間とは異なる考え方をすることから得られる。人間と同じ考え方であれば、すでにいくらでも存在している。世の中のあり方を変えるのは、この人工知能がどれだけ賢いかではない。その多様性でもない。それがどこにでも存在することである。アラン・ケイは、人間の思考は知能指数80程度だ、と皮肉を言った。人工知能については、どこにでも存在することが知能指数80に相当するのだろう。電気の使えるあらゆる場所に、分散型の人工知能が埋め込まれて、それが全体として新しい人工知能(ここでは "ai" という)になる。"ai" すなわち、低レベルの基礎的知能がテクニウム(文明としての技術)全体に行き渡り、その浸透によってテクニウムを変化させる。

理想的には、この付加的人工知能は安価というよりも無料であるべきだ。無料の ai は、無料の共有空間であるウェブと同じように、想像もできないほどの力を商取引や科学にもたらして、すぐに元が取れるだろう。最近までの社会通念では、スーパーコンピューターが人工知能を最初に実現し、その後、おそらくその小型版が家庭にはいり、あるいは個人用ロボットの頭脳に使ったりすると考えられていた。それは境界のある存在だ。どこまでが人間の思考で、どこから先が人工知能の思考だとわかるはずである。

しかし、過去10年でグーグルが雪だるま式に成功したことによって、来たるべき人工知能は、特定の機器の中に限定されるものではないと思われるようになった。それはウェブ上に存在し、ウェブと似たものになるだろう。多くの人がウェブを使えば使うほど、ウェブは多くのことを学習する。ウェブが多くのことを知るようになれば、私たちはますますウェブを利用する。ウェブが賢くなれば、それは多くのお金を生むようになる。ウェブが賢くなれば、私たちはそれをさらに利用する。ウェブの賢さのグラフは、収穫逓増的な曲線を描く。誰かがリンクをクリックする、あるいはリンクを作成するたびごとに、自己加速的に増加する。大学の研究室で何十人もの天才が人工知能のプログラムを作ろうと努力しなくても、そのかわりに、何千兆個もあるウェブのハイパーリンクからかすかな知性のきざしが出現し、数十億の人々がそれを訓練し教育している。コンピューター基板の計算能力が人間の脳の計算能力の推定値を上回るよりもずっと前に、ウェブ ―すなわちそこに接続されたすべてのコンピューターチップを包含するもの― は、人間の脳よりもはるかに大きくなるだろう。実際のところ、すでにそうなっている。

商業活動や科学研究、さらに人間としての日常生活は、ウェブに依存し、あるいはウェブと人工知能からなる複合体の潜在力や便益に依存するようになりつつある。世界初の本物の人工知能は、たぶん、単独のスーパーコンピューターで生まれるのではなく、何十億個ものCPUによるウェブという超個体の中にできると思われる。その規模は地球全体に及ぶけれども密度は薄く、何かに組込まれて、ゆるく結合している。このウェブの人工知能に触れた機器は、その知能を共有し、またその知能に貢献する。したがって、すべての機器や処理過程はこのウェブの知能に参画する(必要がある)。

単独の知性は不利になると思われる。遠隔地へ移動しなければならないという不利益があるからだ。本当に通信網から離れた人工知能があったとすれば、それは、60億人の人間の知性、100京個のトランジスタ、数百エクサバイトの実生活のデータ、および文明全体が持つ自己修正機能の帰還回路に接続された人工知能と比べて、その学習の速さ、広範さ、賢さにおいて劣っている。

この新たに発生する人工知能、すなわち ai は、最初は、それが知能だとは感じられないような状態で出現するだろう。それはどこにでもあるために、存在に気づかない。私たちは、あらゆる種類の退屈な用事、たとえば科学実験の計測やモデル構築のために、その成長しつつある知能を利用するだろう。しかしその賢さは、地球のあちこちに散らばった倉庫の中にあるプログラムのビットに依存している。それは一つにまとまった実体を持たず、顔が見えない。この分散した知能に接するためには何百万通りもの方法があり、地球上のどの場所にあるデジタル画面からでも使うことができる。だから、それがどこに存在すると言うことは難しい。この作り物の知能は、人間の知能(人間による今までの学習結果の全部および現在ネットを利用する人間たち)と、未知の高速デジタル記憶装置との組合せである。したがって、それがどのようなものであるかを正確に示すことも困難である。それは人間の記憶なのか、合意による協定なのか?人間がそれを検索しているのか、それが人間を検索しているのか?

どうでも良い趣味的追求や、手当たり次第の娯楽のためにウェブの ai を無駄使いする一方で、その新しい種類の知能を科学のためにも利用するようになると思う。最も重要なのは、組み込まれた ai が科学の方法を変えるということだ。本当に知能を持った計測機器を使えば、計測が速くなり計測方法が変わってくる。絶え間なく常時得られる莫大な量のデータがあれば、モデル構築が速くなりその方法が変わる。本当に賢い文書があれば、人間が何かを「理解した」と認識することが速くなり、その方法が変わる。科学的方法とは理解のしかたの一つである。しかし、それは人間がどのようにして理解するかを基準にしていた。この科学的方法に新しい種類の知能を付加すれば、その理解のしかたはまた違ったものになるはずだ。その時点で、すべてのものが変わる。





Creative Commons License

この作品は、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています。
posted by 七左衛門 at 21:54 | 翻訳