著者:ケヴィン・ケリー ( Kevin Kelly )
訳 :堺屋七左衛門
この文章は Kevin Kelly による "The Forever Book" の日本語訳である。
永遠の本 The Forever Book
サイバネティクスの重要項目の一つは、フォン・ノイマンによる、最も小さな自己複製可能な機械がどのようなものであるかを解明する試みである(彼はこの研究を論文には書かなかったが)。大規模な自己複製可能な機械はたくさんある。すべての生物はそうだ。しかし、自分自身を複製することができる最小のものは何か?その一連の探求から、彼の独創的なオートマトンという発想が出てきた。そして最終的には多くの人工生命の研究が生まれた。最近、生物学者は同じ質問をし始めた。考えられる最小の生物は何か?生命はどこまで小さくなれるか?この一連の考察から、地球外生物学者および生物の起源の研究者たちは、自己複製するRNAの最小単位の実験をしている。その量は地球上で自然に見られるものよりずっと小さい。
私は、文明(テクニウム(訳注:文明としての技術))が生命の一形態、自己複製する構造だと思っている。文明の「遺伝子」を凝縮した最小の種子は何か、ということを考え始めた。その種子を展開して元に戻すと、また別の種子を作ることができるようになる。すなわち、テクニウムが生存するのに必要な最小の種子は何か?それは再生産年齢にまで成長し、自分自身が一人前の文明となり、自分の子孫を、つまり、もう一つの複製可能な種子を生むことができる種子でなければならない。
この種子とは、知識で満たされた(もしかすると道具も含まれる)図書館であろうと思われる。今の多くの図書館は、人類の文化や技術について私たちが知っていることをたくさん収容している。それを再生産する方法も少しは持っている。しかし、ここで言う図書館は、文化の自己複製に不可欠なあらゆる知識を所蔵していなければならない。ここで理解しておくべき重要なことは、この種子としての図書館は、人間が知っていることすべてについての万能図書館ではない。そうではなくて、そのままでは複製不可能なもの、しかも、展開すると人間が知っていることを再生できるものを収容する種子である。
種子は、いろいろなことに役に立つ。次の季節の再生に使えるし、あるいは、ある種類のものを休眠状態で保存したり、長い中断のあとで再開したりできる。他の事業の食物(入力)でもある。樫の木はドングリに凝縮するし、鯨は受精卵に凝縮する。したがって、文明を図書館のようなものに凝縮できると私は考えている。このような種子を展開するためには、環境と時間が必要である。(鯨の場合は母鯨が、樫の木の場合は森と土が必要だ。)だから、生物は種子だけに凝縮するというわけではないが、それでも種子であれば扱いやすい。
また、確証はないが、私は二種類以上の種子があると思っている。複雑なテクニウムを凝縮して封入するのは、蛋白質を折りたたむのと同様に、その方法は一つだけではなさそうだ。移植、再発見、あるいは単なる更新によって、文明の何らかの側面を持続させるような、さまざまな種子(図書館)を想像することができる。あるものは他よりも大きいかもしれない。ブートストラップする文明に必要不可欠な考え方や知識を収容している最小の図書館は何か?最小の図書館は、実際には情報だけを収容しているはずだ。正しい情報があれば、どんな道具でも必要に応じて作ることができるからである。
テクニウムの種子は、ブートストラップする仕掛けでなければならない。基礎的な情報は、さらに多くの知識を解明する道具を作るための指針を提供する。その知識を使って、順繰りに他の指図を理解する。それを使ってさらに多くの道具と理解を得る。以下、無限に続く。
明らかにそのような図書館は、いろいろな情報の中でもとくに、本で満たされた図書館を作る方法を伝達しなければならないだろう。本で満たされた図書館は、いろいろな意味で文明の最も重要な部分だからである。こうして自己複製可能な永遠の図書館ができる。では、自己複製可能な永遠の図書館で、最小なのはどのようなものか?デジタル技術をもってすれば、いつか、その図書館は現在の本よりも小さくなるだろう。そして、そこには主として情報を収容しているから、自己複製可能な図書館とは、自己複製可能な本であると考えることができる。すなわち、「永遠の本」である。
私は、一つの実験として、この「永遠の本」を作るために何が必要かを考えているところだ。
最初の段階では、この本は、その本自身を作る方法などを教えてくれる。よく考えてみると、私のこのプロジェクトは、実際には一連の本であることに気がついた。版を重ねるごとに基本理念に沿って改善していって、最終版には文明再生産キットを収録する。すなわち、それ自身を永遠に複製し続けることができる本になる。
その一連の版がどのようなものであるかを示しておく。
第1版は、レーザープリンターで印刷した本で、そこには紙を作る方法、活版印刷の方法、製本の方法などに関する既存の説明書の一部を転載する。つまり、その本と同じような別の本を作る方法について全般的な情報を収録している。(この段階を今、私は実施しているところだ。)それは概念としては役に立つが、実用になるかどうかはわかならい。紙やインクを作ることはそんなに難しくないが、活字を作るのは難しい。
第2版は、レーザープリンターで印刷した本で、前と同様に一から本を作る方法を収録しているが、この情報は現代的かつ人工的になっていて、このプロジェクトのために本を何冊か手で作って実証する。第2版を使えば、元の本とは別の本を作ることができる。
第3版は、すべてこの単純な方法による完全手作りの本である。その中には、その本と同じような別の本を作る方法に関する情報が書いてある。手作りの紙というページには、そのページと同じものを作る方法が書いてある。インクに関する章は、そこに示した方法で作ったインクで印刷してある。その他も同様。これが本当に永遠の本だ。
次の段階では、「永遠の本」を拡張して、「永遠の図書館」らしいものにしていく。
第4版は、DVDまたはその同等物である。手作りの本を作る方法から始まって、DVD(または同等物)を作る方法を教えてくれる。シリコン、アルミニウム、石油、銅などの素材を使ってDVDを再現するために必要な知識全部をDVDに収録できるのかどうか、私は正確には知らない。必要なDVDはすべて倉庫の棚に入っていることにしてもよいのかもしれない。
この考えを拡張していけば、DVD、ハードディスク、計算機ネットワーク、ウェブなどの図書館に到達する。そこには、知識を収録するハードウェアとソフトウェアの図書館を複製するために必要な知識が、すべて収録されている。この図書館は本質的には、文明再生産キット、すなわち、文明における基本的技能を保存するための自己複製可能な知識である。それは非常に大きいものだろう。極端に言えば、今日、地球上にある本や文書をすべて集めたメタ図書館を考えれば、それは永遠の図書館である。たしかに、私たちの知識は、それを再現する方法についての情報を含んでいる。
しかし、重要なところは、一つの情報源に最小限の知識を詰め込むことだ。今の私たちと同様な文明をどこかで再出発させるために必要な最小量の知識である。テクニウムを再出発させるのに、たとえば3世代の時間をかけるとすれば、必要な最小量の知識はどのようなものか?あるいは、1世代では?
技術や文明の定義は人によって異なる。したがって、この種子に至るためにはいろいろな取り組み方がある。これが楽しいところだ。それはバックアップをとるようなものである。異なる要求は異なる戦略を生む。ある人たちは、自己複製可能な図書館という「種子」について、手早く再出発できること、たとえば10年でできる手軽なお始めパックをねらっている。もしかしたら、宇宙船のお手軽パックも求められているのかもしれない。あるいは、非常に深くしかしゆっくりと開く種子、つまり十分な育成が必要だが、非常に堅固なテクニウムを生み出すような文明の種子を求めているのかもしれない。あるいは、強い方向性を持った文明を生み出す永遠の種子があるかもしれない。たとえば、宗教を容認する文明、宗教を回避する文明、あるいは女性の概念を変える文明など。その他に、2種類の種子が考えられる。野生版の種子は、母親がいなくても、あるいは土壌がなくても、荒れ地でも発芽することができるというハルマゲドン後の種子である。養育の世話をしなくても文明を再出発させることができる。これは、完全に自己完結していて、放置に耐えうるものでなければならない。もう一つの種子は、発芽した後、他の永遠の種子と競争しながら、あるいは、すでに確立した文化と競争しながら成熟する。それは積極果敢で雑草のように強く、他の種子による混乱に耐えうる。永遠の本を展開する方法は何千通りもあるのだろう。
私の周囲にいる人が永遠の本の第1、2、3版、すなわち桑の木の皮と、すすのインクによる本を作ることに興味を示すとは思わない。しかし、永遠の本の第4版は、多くの人が興味を示すと思う。最新の媒体による自己複製可能な図書館に収録すべき本や映像、音楽、知識、ウェブサイトなどの内容を、何年もかけて調査し、選択し、調整するだろう。アマゾンの人気度リスト、図書目録、ブログのリンク集などを考えてみれば、「最重要知識の大リスト」を作ることの魅力は保証できる。このような情報源の究極のリストがあれば、分別のある人がその資料を調べて、最低限でもリストの媒体そのものを再生できるし、さらにはリストの内容を再現できるだろう。これは大仕事である。媒体が複雑になるにつれて、さらに難しくなる。(誰かにDVDを作る方法を教えるための説明書を考えてみるとよい。)そして、もちろん、私たちが知っていることの図書館は毎日拡大している。
しかし、深遠なテクニウムの「永遠の本」を作るにあたって本当に問題なのは、技術を再構築するために必要な知識の大部分について、記録がないと思われることだ。専門家の頭には膨大な量の暗黙知があって、工場や事務所の中で受け継がれているが、まったく文書化されていないし、とりわけ図書館の中になど存在しない。そのような基本的知識を素人が引き出すことはたぶん不可能である。
でも、「永遠の本」プロジェクトのファンが熱中して、個人用の版を見せ合ったり称賛したりする様子を想像することもできる。「ぼく専用の永遠の本を見せてやろうか。」人間の知っていることについて、専門分野を越えてこれほど広い見識を持とうとする人が他にいるだろうか?今私たちが到達したところに来るまでの諸段階を再構築しようとする人が他にいるだろうか?
「永遠の本」は、教育手段としても役に立つ。スチュアート・ブランドはこの考えについて、次のように言っている。「その魅力は、新しい人間がみんな教育を通じて、事実上、文明を再出発させる、あるいは少なくとも再発見することだ。」文明再起動マニュアルの構成要素を収集し検討することは、ひょっとすると最良の教育である可能性を秘めている。
「永遠の本同盟」というエリート集団を想像することができる。その構成員は次のすべてを達成した人だ。
(1) 各構成員は、自分用の「永遠の本」を作っている。その本は少なくとも100部の複製を作る方法を収録している。
(2) その複製を入手した人のうち、少なくとも一人は第二世代の複製を作っている。
図書館同士の「競争」があると推察できそうだ。競争に勝つ方法は、その「永遠の本」が明解で論理的で整然としていて、それを見て誰か他の人が自分の本を作りやすいことである。これは、第二世代に向かっての競争だ。
これによって、世代間の交流が促進される。「永遠の本同盟」の構成員になろうとする人は、第二世代の参加者が成功したという確証がなければ、加盟が許されないからである。(第二世代の作者が第一世代の作者と交流するための動機がこの他にも必要かもしれない。)私は「永遠の本同盟」の構成員になりたい。この発想に興味を持つ人がいたら、私に知らせてほしい。
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