2010年12月25日

「必然性の狭き門」

著者:ケヴィン・ケリー ( Kevin Kelly )
訳 :堺屋七左衛門


この文章は Kevin Kelly による "Narrow Gates of Inevitability" の日本語訳である。



必然性の狭き門  Narrow Gates of Inevitability

私が死ぬことは必然だが、どのように死ぬかは必然ではない。生命の進化は必然だが、どのような種類の生命に進化するかは必然ではない。しかし、多様な死に方があるのと同時に、死にはたいてい一定の傾向がある。また、生命の進化はおそらく宇宙にありふれたものだが、その形態のとりうる種類は、やはりごく限られた傾向に従うのかもしれない。この考えは確実に少数意見である。宇宙の生命に関する論者の大部分の意見は、人間の視野が狭いので現時点で可能な、または将来における生命の多様性を正確に想定できないと言っている。

私の推測では、生命の進化という狭き門は、進化の起こる回数を制限してはいない。新たな基盤(たとえばDNA)が発生する回数を制限するわけでもない。自己進化し、進化を継続し、自己複製する生命の形態を作り出すためには、ごくわずかの基本的な経路が存在するだけだ。だが、ひとたびそれが得られると可能性が開ける。生命が進化する道筋がごく狭いのだとすれば、それは知性についても当てはまりそうだ。自己認識能力のある知性が進化する方法として、実現可能なものはごくわずかしかない。そして、それは技術による成果についても同様だろう。おそらく、知性が全世界的なネットワークを初めて作り出すためには、ごく限られた方法しかない。

私は科学小説(SF)の子なので、このような異端的な意見に、あっさりと納得したわけではない。しかし、この結論をよく見て、考えを変えることになった。生命が(いかなる生命でも)自然発生的に組織化する条件について調べれば調べるほど、その条件は著しく狭くなるように思われる。生命にとっては、ゴルディロックス(訳注:童話「3匹のくま」の主人公の少女)のようなものが必要なのだ。暑すぎず、寒すぎず。秩序がありすぎず、なさ過ぎず。強すぎず、弱すぎず。現実世界の尺度について大から小まで、重力などの宇宙定数から、地球の厳密な寸法まで、あるいは氷の分子が融解する温度まで、これらの数値の他にも何百もの数値が、ちょうど最適な場所のあたりにあって生命が生育するための動的平衡を可能にしている。実際に、生命の動的平衡は、常に秩序と無秩序の間をさまよい続けていて、最適な場所を求めている。

非常に細い道筋から変数が逸脱すると、私たちの知っているような生命は否定される。モデルやシミュレーションを使って、科学がエクストロピック・システム(進化し続けるシステム)を研究するにつれて、生命の依存する条件が新たに発見される。この調整具合がすべて顕在化して一覧表ができたとき、生命の限界が明確になる。

科学の力によって、生命の進化に必要とされる条件が大体整理できた、と一時は考えられていた。それは、人間が実際に生命を複製しようと試みるまでのことである。生命の起源の理屈は簡単なことだ。すなわち、無機的化学物質が自己組織化して、複雑な有機化合物からなる生命体になった。問題なのは、今のところ人間がその化学的変化の道程を再現できていないことである。

長い時間が必要なことが問題なのではない。問題は、途方もなく長い期間にわたって、小さな成功の積み重ねが必要なことである。現在の理論では、生命以前の基本的な分子が物理的制約(たとえば小さな水たまり、地面の深い割れ目、岩石の細孔など)に閉じこめられて、その後、エネルギーの勾配(放射、光、熱、放電など)によって活性化し、特定の新しい配列になった。一連の段階的改良が累積するまでの間、この最初の結果が退化しないように保護しなければならない。しかし、単なる化学物質から始まってDNAに至るまでのすべての過程において、中間の段階および中間の分子が多くて、かつ脆弱なのである。

このような分子がたどった初期の経路を再現しようとする実験は、すべて、本来の全行程に遠く及ばないところで行き詰まっている。自己再生の構成要素であるアミノ酸を考えてみよう。今のところわかっている範囲では、基本的要素からアミノ酸を自己組織化するためには、別々の矛盾する条件が必要である。あるものは冷たい無アルカリ水を必要とし、 あるものは熱い酸を必要とし、また他のものは圧力をかけた上でメタンを必要とする。さらに、これらの成分は短命であって、消散するまでのほんの数時間のうちに結合しなければならない。このすべてが特定の環境に同時に集中しているという不思議な世界を想像するのは困難である。

生物の進化の賢いところは、幸運なめぐり合わせを待たなくても、全く新しい物を作ることができることだ。小さくて取るに足りない改善を集積して、ゆっくり時間をかけて革新的なものを作り出す。生命以前の時代の難問は、小さな優位性を蓄積するための自立した生命体がないことである。つまり、生命以前の時代には、生命の進化による利点が全くなかったということだ。進化以前は、言ってみれば異なるやり方で物事が進んでいた。生命の起源より前は、複雑性を蓄積することができなかった。それを保護するための皮膜がなかった。したがって、非生物環境では、新しいことがすべて同時に起こらなければならない。それぞれ異なる物理的形態から生まれた何十の、あるいは何百種もの壊れやすい化学物質や触媒が一箇所に集まって、ようやく最初の自己複製可能なDNA分子を作ることができる。

私たちが考えつかないような、もっと容易なやり方があるのかもしれない。自己複製ばかりか代謝でさえも、黄鉄鉱の結晶や粘土粒子の上で最初に機械的な方法で形成することも可能である。だから、自己複製は最初は有機的でなくて、より安定な無機物に基づく作用だったのかもしれない。

このはっきりした可能性は、SF作家や大胆な科学者たちに対して、従来と異なる生命の様相について考察する機会を与えた。この人たちが言うように、確かに宇宙のどこかに、炭素でなく珪素でできた生命、水分を含まない乾燥した生命、固体でなく気体状の生命があるかもしれない。フレッド・ホイルの想像によると、星間の塵すなわち暗黒星雲が無から秩序を誘発したという。気体が拡散して広がって生命のような生気になる。珪素による生命体は、理論上は炭素による組織と似ているもので、SF小説の常連だ。水分のない生命体も理論上は宇宙のどこかに存在しうる。しかし、このような別の基質で、不活性物質から自己組織化する生命へ至る可能性の道筋を考えるとき、何十億年の時間と宇宙の全空間を使っても、中間的に必要な自己組織化の段階を想像できそうにない。

ここで困難さを強調するのは、生命の起源に奇跡が必要だと主張するわけではないし、何か別の異星人の力が必要だと示唆するのでもない。地球、すなわちDNAで満たされた水槽で、生命がたどった軌跡こそが、生命の発生する主要な、おそらく唯一の方法だということを指摘したいのである。生命への道筋は、孤独で希薄な可能性の空間を通っていて、現存する生命のたどった軌跡は、その空間で唯一の可能性のように思われる。DNAに至る歴史の道程を特定しようとして多くの選択肢を調べていくと、DNAは非常に特別な事例であることが明らかになる。たとえば、かぶと虫や蚤の世界では、かぶと虫や蚤はそれぞれ生命体としての選択肢の深い森に囲まれているのだが、それと違ってDNAは孤立している。

サイモン・コンウェイ・モリスは、バージェス頁岩に関する研究を通じて生命の多様性の理論にさまざまな影響を与えた人で、DNAは「この世で最も奇妙な分子」だと言っているが、たしかにそのとおりだ。驚くほど単純ないくつかの原子の配列が、すばらしく便利な構造を保持している。簡単に符号化や復号ができて、全く同じ繰り返しのない一連のコピーを生む。その美しさはほとんど数学のようだ。秩序を保ちながらも必要があれば消滅し、革新を生みながらも正確さを保持する、この分子の能力こそが生命に力を与えている。今までのところ私たちは、これに類する物を発見も発明もできていない。DNAは円周率と同じように唯一のものだ。

この理論によれば、銀河系で遭遇するであろう生命は、たいていはDNA的なアミノ酸分子に基づくものだと思われる。そのことが証明できれば、複雑な生命体は左右対称で、神経、管状の腸、眼球があるだろうということが証明できる。それは多くの異なる種類の地球上の生物で、何度となく起こってきたことだからである。もしも、生物のいる惑星を十分な数だけ調査できるとすれば、地球上の特徴が普遍的だという結論になるだろう。宇宙のあらゆる生命体がその特徴を持つと言っているわけではなくて(地球上でも多くの生物がそうではない)、ただ、生命が長期にわたって現れるところでは、どこでもこのような特徴が共通しているということだ。モリスはこう言っている。「宇宙生物学を研究したければ、DNAを研究すればよい。」こういうわけで、多くのSF映画で、異星人がそれほど異質でないという奇妙な想定が正しいことが判明するかもしれない。

念のために言っておくと、最初に無機物から生命へ進化するのに必要な条件は、その後に生命が成長するための条件と比べて非常に限定的である。生命への進化が起こりそうにない場所で生存している生命を容易に想像することができる。たとえば、宇宙やガス星雲のようなきわめて過酷な環境を克服した生命体、あるいは、珪素または他の異質な方式を取り入れた生命体を想像することは困難ではない。その生物にとって段階的な進化の蓄積による変化の恩恵があればの話だが。最初に生物の分子系が進化したときには、宇宙の中でも非常に進化を助長しやすい何らかの環境で起こって、その後、自力では生命への進化が開始しなかった他の星に伝わっていったのかもしれない。ひとたび他の場所で発生した後は、そこに存在しなかったことがあるとは思えないほど繁殖する。フレッド・ホイルら一部の宇宙学者は、DNAがその候補だろうと考えている。すなわち、私たちの知っている生命は地球外に起源があるが、地球上の全く空のペトリ皿に置かれると活発化して増殖し、すっかり土着のものになるまで絶え間なく自己増殖を続けている。

宇宙には、生命に必要な自律的自己複製能力のある分子が他にもあるのだろう。しかし、それは初回には自然に自己組織化できないかもしれない。この新たな生命の基盤にとっては、その方法を発明する知性が必要である。すなわち、開始地点から先へ進むためには、試験管の中かどこかで一連の精緻な化学的手順を踏むことが必要とされる。SF小説を好むならば、DNAそれ自体が発明された分子だと仮定するのも一つのシナリオである。異星人の知性によって考案されて、意図的にあるいは無意識的にこの地球上に置かれたとする。DNAが地球上で自然発生したことを示すのに多大な困難がある理由は、そもそもそれが自然発生したものではないからだ、ということになる。

標本数が1である場合(一つの生命、一つの知性)には、今見ているものが例外的なのか一般的なのかわからない。私たちは自分自身が例外的だと考えがちである。進化論者のスティーヴン・ジェイ・グールドが論文で何度も主張している見解によれば、生命のテープを巻き戻してみると、現存するような生命は現れてこないだろう。偏向の圧力も既定の道筋も障害物もなく、ただ偶然に通ってきた経路があるだけで、その経路は決して再現することができない。私たちに特有のこの形態は、再現不可能という意味において例外的なのである。

また別の少数意見によれば、この種の生命が再現不可能であることは短期的には正しいが、大きな評価軸、たとえば何十億年という規模では、物理学的制約によって何らかの可能性が決まるという。分子が自然に自己組織化して生命ができる方法が何通りあるかは、化学によって決まる。その分子がさらに高度な形態に統合される方法の数も、化学によって決まる。さらに、これらの初期条件の制約によって、分子が知性となるように自然に配置される方法の数も決まる。そう考えると、この分子に基づいた頭脳については、到達する思考の種類や生み出す技術の種類に制約があるだろう。したがって、この知能が生んだ技術のとりうる経路は、ある一定の方向に向かっていて、思っているよりもはるかに限定されているのかもしれない。

もしそうだとして、ではどうするか?まず、私たちは、生命が自然に生まれたという証拠(または、その否定)に今後も注意しなければならない。クレイグ・ヴェンターらによる人工生命を作ろうとする試みは、この点において最も有望である。次に、技術の発展には制約があることを認識しなければならない。知能によってのみ発生しうる非常に単純な生命があるとすれば、それと同様に、非常に単純な技術的形態が、最先端技術による遠回りの経路を通って初めて到達できるということもありうる。

さらに、技術が人間の自由意志によって完全に支配されていると人間は確信しているが、将来の技術の発展は人間の気まぐれではなくて、物理学と化学にもとづいて決まっている部分が大きいのかもしれない。





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posted by 七左衛門 at 17:38 | 翻訳