2011年03月22日

「グーグルで唯一の名前」

著者:ケヴィン・ケリー ( Kevin Kelly )
訳 :堺屋七左衛門


この文章は Kevin Kelly による "Google-Unique Names" の日本語訳である。



グーグルで唯一の名前  Google-Unique Names

あなたという人は、ただ一人しかいない。他のみんなも同様だ。では、私たちの名前も唯一であるべきではないか?

私の名前はそうではない。「私は何人いるか」(How Many of Me)というデータベースで、姓と名の組合せの出現数を調べると、私と同じケヴィン・ケリーという名前を持つ人が、米国内で私以外に千人いる。これはかなり少なめの数字だと思う。なぜならば、私は自分と同姓同名の人に何十人も会ったことがあるが、その名前を持つ人のごく一部にすぎないはずだ。ネット上のケヴィン・ケリー全員の情報整理のために作られたウェブサイトには、約百人の同姓同名の人が登録されている。これがその名前の人の10分の1だとは到底思えない。

私たち人間には、それぞれを識別するために名前がある。しかし、不思議なことに同じ名前を使い回している。昔、たとえば50年前までは、小さな町であれば、ありふれた姓名でもその組合せはただ一つしかなくて、それで十分だっただろう。ところが、小さな町で生活することが少なくなり、都市生活が一般的になると、ありふれた名前では役に立たなくなった。今日では、地球村や、世界的なフェイスブックにおいては、地球上で唯一の名前を持つことが重要になっている。

私の顔には、そんなありふれた姓名がくっついているので、自分の子供には唯一の名前をつけたかった。子供たちはグーグル以前に生まれたが、今の私の言い方では、グーグルで唯一の名前をつけるということになる。

名前とはおかしなものだ。違っていてほしいが、あまり違いすぎないようにしたい。最近会った人で、正式な本名に数字を含んでいる人が何人かいた。たしかに、それは違っている。私の友人の息子は、Qというのが正式な名前である。これは珍しい。ある人たちの名前は、わざと発音できないものになっている。したがってそれは唯一の名前であるが、情報伝達の困難という代償を払っている。(もう一度スペルを教えてください、とか。)違和感のある過剰な相違と、十分な独自性のための相違との平衡点を見つけるためには、技量が必要である。会社やウェブサイトの名前を考えている人に尋ねてみればわかる。

人の名前はそれ以上に複雑だ。なぜならば、私たちは「名前らしい」言葉を名前にしたいと思うからである。たとえばジョンとかケヴィンとか。英語では姓および名となるべき特定の言葉があって、名前にのみ使われる。ケヴィンと名づけられるのは人間だけである。(なお、最近は、性別による名前の違いがなくなりつつある。私はケヴィンという少女に会ったことがある。女性のケヴィン・ケリーが少なくとも一人は存在するはずだ。)

正式な本名がウォーターメロン(西瓜)とかギターとかナーバス(神経質)とかいう人がいたとしたら、おかしいと感じたり違和感を覚えたりするだろう。それがあだ名なら問題ないかもしれないのだが。しかし中国やその他の文化では、そのような普通の言葉が名前によく使われる。実際に世界のどこかで、メロンやギターに相当するその土地の言葉が本名になっている人たちが存在する。グローバル化に向かう流れの中で、何億人もの中国人が採用している英語名にも、それと同じ傾向がある。バイシクル・チェン、ペーパー・ウェン、プロミス・リンというような名前がネット上には見受けられる。言語学者によれば、西洋の名前はすべて最初は普通の言葉だったが、時間の経過とともに元の意味が失われたと言う。ただし、ベイカー、スミス、サンなど、今でも意味がわかる一部の例外もある。何世紀も経つと、名前用の言葉は「名前らしさ」を表現し、時には民族性をあらわす。

名前(その他の創作物も同様)についての適度な差異と過剰な差異とのバランスは、独自性と意味との間の妥協である。私と妻は自分の子供に名前をつけるとき、独自性(「ゾール」Zorr!)と意味(無難なアメリカ人「トム」Tom )とのバランスを考えた。我が家では家族の名前を選ぶのに、アイルランド(私の家系)と中国(妻の家系)の両方の言語で何らかの意味があって、しかも学校の先生や友達が「名前らしい」と感じるような、そしてグーグルで唯一の名前にするという制約を守った。我が家の子供達の名前、ケイリーン・ケリー(Kaileen Kelly)、ティン・ケリー(Ting Kelly)、タイウェン・ケリー(Tywen Kelly)をグーグルで検索すれば、きっと見つかるはずだ。

(グーグルで唯一の名前とは、グーグルで容易に見つかるというのと同じではないことを明確にしておきたい。唯一の名前を持っていたとしても、何もしていなければ見つからない。あるいは、ジョン・スミスというありふれた名前であっても、多作な作家ならばグーグルの最初のページに出てくる。名前の検索可能性にまつわる経済問題については、ウォール・ストリート・ジャーナルのこの記事を参照されたい。)

会社名についても、独自性と情報伝達とのバランスには、やはり妥協が必要である。名前として「アップル」は少しも独自ではないが(ビートルズに尋ねてみればよい)、ある種の感覚と概念を伝えてくる。それに対してXzdggrというのは独自ではあるが、ほとんど何も伝わらない。多くの会社がこの妥協を切り抜けている方法がある。その一つは、ありふれた言葉を省略したり独自のつづりにしたりして(例えば、Flickr, Diggなど)、独自性と伝達性を両立させることである。

個人の名前はこの方向に進んでいくと思う。私はよく著書にサインするのだが、ありふれた名前であっても必ず「どんなつづりですか」と尋ねることにしている。なぜならば、5回に1回は伝統的なつづりと違う人がいるからである。驚くほど変わった名前は必ずあるものだが、概して名前は多様になりつつある。全世界的な交流、国際結婚、頻繁な移住などを通じて、米国や欧州の学校では、英語あるいはアイルランド語だけでなく、アラブやインドや韓国の名前も「普通」の名前になっている。

姓を受け継ぐ伝統を維持したとしても、私たちの辞書には、地球上のあらゆる人に2語からなる独自の名前をつけるのに十分な数以上の単語がある。これまでの名前を家族が受け継ぐことに誘引力があるのはわかる。(もともと私は父親にちなんで名づけられた。)しかし、検索で独自な名前を持つことの利点も拡大し続けるだろう。

私たちは、ペットの名前や会社の名前をつけるときには独創性を発揮するが、子供の命名については、そうでもない。今では独自の名前を調べる方法があるし、珍しい名前も容認されつつある。その通りだ。我らの罪を許し給え。Jennifr, Thms, Connr, 3er, Zorr, あるいは多くの商標名が、子供の名前として使われている。生きている人のための独自の名前は、新しい名前である必要はない。時代遅れの名前を復活させることもありうる。(ネームボイジャー(NameVoyager)を見れば米国の名前の盛衰を見ることができる。)

KevinName.jpg
(http://www.babynamewizard.com/voyagerによる)
うん。1952年が最大、私が生まれた年だ。

音楽バンド、本、ペット、ブログ、起業する会社などについて名前を決めることを通じて、命名の複雑な過程、すなわち、同名の他の物や人があるかどうか、また、どんな名前が「利用可能」かを調べたり、他の文化での名前のあり方を考慮したりすることに私たちは慣れてくるだろう。私の推測では、子供の命名もある程度はそれと同じ方法をとるようになると思う。

それと同時に、私たちの文化においては、独自の名前の必要性が高まるだろう。グーグルで検索可能な名前についての記事で、クライブ・トンプソンが指摘している。「Ask.comによれば、そこでの検索の7%は人名である。また、管理職スカウト業者の80%は、応募者の名前をオンライン検索している。40%の人々は、長期間消息不明だった知人を検索エンジンで見つけたと言っている。」ただし、今のところこの状況が当てはまらない国や文化も多い。先進工業国でも、たとえばドイツ、フランス、北欧など、人名が一定の規則に従わなければならない国がそうだ。 "@"とか"Dwezzle"とか"4Real"とか"Devil"(=悪魔)とか"Anus"(=肛門)とか(いずれも却下された例)のように違法な名前は許されない。結局のところ、それは子供に関することであるし、理論上は名前は生涯使い続けるものだ。そして、どんなシステムにも、たとえアドホック(一時的)ネットワークであっても、命名規則がある。

しかし、URLを変更するのと同じくらい名前の変更が容易になるのであれば、規則違反の範囲は縮小すべきだ。それは一夜にして実現するものではない。それでも今から100年後には、新生児は独自の名前を持つようになるだろう。それは存命中の人とも故人とも異なるものだ。そうなれば世界はもっと興味深いものになると思う。

この論理をさらに進めると、いつか、国や州や市が独自の名前を義務づけると宣言するときが来るかもしれない。他の誰とも異なる名前を選ばなければならない。実現困難に見えるこのシナリオは、使われた名前についての統一したデータベースがあって初めて成り立つ。そのようなデータベースは、さほど現実離れしたものではない。そうすると、名前は唯一の識別番号と同様の働きをするようになる。私はそれを受け入れても良いと思っている。





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posted by 七左衛門 at 21:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | 翻訳    
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