2011年06月18日

「実用の図書館」

著者:ケヴィン・ケリー ( Kevin Kelly )
訳 :堺屋七左衛門


この文章は Kevin Kelly による "The Library of Utility" の日本語訳である。



実用の図書館  The Library of Utility

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どこか遠く離れた山の上にある図書館を私は夢想している。文明に不可欠な実用的知識の再学習に必要な情報を集めた図書館である。この書庫は、そこまで出かけて行った者には誰にでも開放されている。北極圏にある「スヴァールバル世界種子貯蔵庫」では、世界中の農作物の種子を冷凍保存しているが、文化に関するそれと同等のものだ。収蔵庫にある実用的文書は、文化の種子であって必要に応じて発芽させることができる。それは「実用の図書館」であり、文明のバックアップとなるものである。


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現代の大規模な図書館は、広範囲にわたって受け入れることを使命としている。そこには「あらゆるもの」がある。長年の念願だったユニバーサル・ライブラリーとして、グーグルその他の組織は、この「あらゆるもの」をディジタル形式で複製しているところだ。しかし、山の上の図書館は違う。それは対象を限定した図書館である。世界の偉大な文学作品は所蔵していないし、さまざまな歴史の解説、民族の不思議についての詳細な知識、未来に関する考察もない。過去の出来事の記録はないし、児童書や哲学の専門書もない。そこにあるのは種子だけである。実用的なノウハウの種子。今までの文明の社会基盤と技術を再製する方法。この図書館は、自分自身を再現するために必要な知識を収集する。煉瓦、モルタル、ガラスなど図書館自体の物理的構造を作る方法。本と紙を使って実体としての図書館を作るための説明書と考えることもできる。あるいは、文明の社会基盤を再構築するための説明書。文明再起動マニュアル。それはロングナウ財団やいろいろな科学小説(SF)で論じられてきたものでもある。そこに保存したノウハウの種子から、印刷、金属加工、プラスチック、合板、レーザーディスクなどを再生することができる。

この種の情報は、普通は、図書館には存在しない。本にもないし、ウェブでも文章としては見あたらない。近頃は、操作説明や実用的な情報をユーチューブの映像で発信することが多い。何かする方法を見せるのに動画が適しているということもあるが、ものごとを文章や図表で表現するよりも、映像を録画するほうがずっと容易だからでもある。しかし、その容易さのために説明の質が低下しやすい。大学の図書館だけを使って、鉱石から金属の薄板を作る方法、あるいは鉱石を採掘して精製する方法、石油からプラスチックを作る方法、シリコン結晶を成長させて半導体チップを作る方法、などを調べなければならいないとしたら、それはかなり困難である。通常はそのような実用的情報は本には掲載されていない。あったとしても情報が少なく、いろいろな本や専門誌に分散している。この種の実用的知識の多くは暗黙知であって、文書以外の方法で伝達されている。それを文字で書くことがあったとしても、その文書は図書館に収録されるような種類のものではない。

巨大な図書館でなくてもかまわない。文明の基盤を自力で再構築するのに必要なすべての情報は、1万冊程度の本に収容できるだろう。また、グーグルのユニバーサル・ライブラリーとは違って、これは紙である。あと100年もすれば、紙の本は稀少になっていると思う。しかし、紙の本はいかなるディジタルの動作環境よりも長く続いているだろうし、紙を読むのにはほとんど技術を必要としない。紙はいつの時代でもどんな場所でも読むことができる。フロッピーディスクやCD-ROM、PDFでは、こうはいかない。

本棚に本を収納するだけでなく、この「実用の図書館」は、本の配列順序も収録している。どこから始めるかによって、読むべき文書が異なる。接着剤の作り方を知っていれば、いきなり合板を作る方法から開始することができる。しかし、耐水性接着剤の作り方を知らなければ、別の地点から始めることになる。あるいは、接着剤と木材加工を知っているが、油圧プレスを知らなければ、また違う説明が必要である。このような複数の分岐は、かなりハイパーテキストに似ている。それにはディジタルが適しているのではないか? たしかに、そのほうが良いかもしれない。ただし、その場合には、バックアップとして紙も使うことになるだろう。

「実用の図書館」は、たとえば冬の間は、ずっと気密を保って封印されている。そして、年に何回か、あるいは何か月か、本の追加と調査のために開封する。これは1万年続く図書館であり、いざとなれば人間が世話をしなくても、何百年も持続する防水性の構造に格納されている。つまり「実用の図書館」は最も重要な1万冊の本を1万年にわたって収容するための建物であり、必要になったときにいつでも文明を再起動できるようにするための実用的知識の図書館である。

その図書館が山の上に建てられるまで待つ必要はない。どこかのガレージで、今すぐにでも始めることができる。もし可能になったら、あなたはどの本を持っていくだろうか?

(上部の画像は、ブータンのパロ付近、ヒマラヤ山中にある小さな僧院である。そこにはごくわずかの本しかなかった。2番目の画像は、スヴァールバル世界種子貯蔵庫(撮影者:Svalbard Global Seed Vault/Mari Tefre)である。本はなくて種子だけがある。)





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posted by 七左衛門 at 15:04 | 翻訳