2011年08月14日

「二つの物を持ち歩く」

著者:ケヴィン・ケリー ( Kevin Kelly )
訳 :堺屋七左衛門


この文章は Kevin Kelly による "Your Two Things" の日本語訳である。



二つの物を持ち歩く  Your Two Things

copbelt.jpg

今から十年後に、人は電子機器をいくつ持ち歩いているだろうか?

アップルがみんなに携行してほしいと思っているものは、現時点では3個だ。iPad(アイパッド)、iPhone(アイフォーン)、MacBook(マックブック)である。以前は、1個持っていればアップルは喜んでいた。十年後については、何個だと想定しているのだろう?10個とか?

特殊化することが技術の欲望である、と私は主張している。だから、私たちが今日持っているあらゆる機器は、将来ますます特殊化した機器になっていると予測する。すなわち、今後数年間のうちに何百もの新しい機器が登場するということだ。私たちはその全部を持ち歩くのか? 機器を一杯に詰め込んだデイパックを背負うのか? すべてのポケットには、それぞれのペットが入っているのか?

普通の人にとっては、その答えは2個だと私は考えている。十年後には、みんな二つの機器を持ち歩くだろう。さらに長期的に見れば、たとえば百年後には、何も機器を持ち歩かないかもしれない。

私たちが(一般的に)持ち歩く二つの機器というのは、(1)体に密着する携帯型の物 および (2)手近に持っている大きめのタブレット だと思う。その携帯機器は、財布、カメラ、電話、ナビゲーション、時計、スイスアーミーナイフみたいなものだ。タブレットは、大きい画面と複数のセンサー入力である。それは折りたたんだり丸めたりできるとか、膨張するものとか、あるいは単なる板状かもしれない。人によって、それぞれ好みの大きさのものを持つようになるだろう。

ただし、注意すべき点がある。まず第一に、私たちは多数の機器を着用するようになるが、それは持ち歩くことと同じではない。機器を内蔵したベルトや腕輪、ネックレス、衣服を身につけたり、あるいは機器が眼鏡に組み込まれていたり、直接、耳に装着したりする。時計を身につけているが、持ち歩くわけではない。ネックレスその他いろいろなものを着用するが、持ち歩くのではない。大きな相違は、着用していれば紛失する(あるいは記録が失われる)可能性が少なく、常に体に触れている。とくに、定量的な自己記録装置ではそれがあてはまる。十年後に何個の装置を着用しているかという質問であれば、その答えは10個かもしれない。

第二に、持ち歩く二つの機器は、いつも同じ物だとは限らない。場所や状況(休暇中か仕事中か)、あるいは実施する作業に応じて、取り替えてもよい。日によっては、いつもより大きい画面が必要になるだろう。

さらに重要なことは、その機器は職業によって違ってくるかもしれない。ある仕事では、文字を中心とした小さな機器が欲しい(プログラマー)。他の仕事では大きな画面が良い(映画制作者)。また他の仕事には、柔軟な折りたたみ式の機器が良い(営業担当者)。

専門化した道具は汎用の道具よりも優れている、というのが技術の原則だ。携帯電話の内蔵カメラがどんなに素晴らしくなったとしても、最高級の専用のカメラのほうが優れている。携帯複合機器のナビゲーション機能がどんなに素晴らしくなったとしても、最高級の専用ナビゲーターのほうがはるかに良い。専門家や熱狂的なファンは、最高の道具、すなわち専用の道具を使い続けるだろう。

念のために言っておくと、複合機器はそれ自体が専用の道具である。スイスアーミーナイフが専門化したナイフであるのと同じで、複合ということに専門化している。何でもきちんとできる。

そこで、この方程式を別の表現で言い換えてみよう。各人が持ち歩く二つの機器とは、一つは汎用的な複合機器、もう一つは専用機器(興味の対象や行動様式によって決まる)である。

もちろん、一部の人たちは2個以上持ち歩くだろう。たとえば、上の写真のニューヨークの警察官のように(数週間前にタイムズスクウェアで撮影)。それは、任務あるいは職業によるものかもしれない。しかし、その人がいつも全部を持ち歩いているわけではない。仕事を離れているときは、1個だけか、もしかしたら2個の機器を持ち歩いているだろう。

しかし長期的には、機器を何も持ち歩かない方向に進むと私は予測している。将来、私たちのまわりには、携帯用と内蔵型を合わせて非常に多くの機器があって、それぞれが人を認識することができ、私たちに対して自分専用のインターフェースを表示しているだろう。そうすると、その機器を使用している間はそれが実質的に自分の物になっているのだ。つい最近までは、誰も自分専用の電話機を持ち歩いていなかった。そのとき手近にある電話を使っていた。電話を借りれば良くて、自分専用の電話機を持ち歩く必要はなかった。1960年頃であれば、そんなことはばかげていると思われただろう。しかし、すべての部屋に電話があるわけではない。すべての店に、また、すべての街路に電話があるわけではない。そこで、自分専用の携帯電話が欲しいと思ったのだ。しかし、ほとんどすべての機器が借用できて、それを通信機器として使えるとしたらどうだろう? カメラやタブレットやリモコンを手に取って、それに向かって話すようになる。そうすると、また以前と同じように、自分専用の電話を持ち運ぶ必要がなくなる。あらゆる画面を乗っ取ることができて、自分の急ぎの用事のために使えるとしたらどうだろう? 自分専用の画面を持ち歩く必要があるのか?

あと10年では、このような状況にならないだろう。しかし年月が経過するにしたがって、高度に進化した人は、何も持ち歩かなくなると私は考えている。

それと同時に、トーテム・オブジェクト(訳注:信仰の対象として崇敬する物)の魅力、自分の手に持っている物、とくにすばらしい物の魅力は消滅しない。自分が愛する物、やりたいことの大部分がそれでできるという物、ある意味では自分の象徴となる物を1個だけ持ち続けるのかもしれない。たぶん、高度に進化した人は、独自の物を1個だけ持ち歩くようになる。それは、その人が死んだら一緒に埋葬するような物だろう。

最後の注意点として、普通の日には2個より多くの物を持ち歩くことはないと思う。機器の数は急増するが、それぞれの機器は、小さな小さなすき間を占めるようになる。機器の分布はロングテールになるだろう。

今から50年後には、古くからの友人に会ったら、ポケットやバッグの中にある自分の愛用品を互いに見せあって、確かめることが一般的な行動になっているだろう。その人が何を持ち歩いているかを見れば、その人物がわかるようになる。





Creative Commons License

この作品は、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています。
posted by 七左衛門 at 11:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | 翻訳    
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/47360801
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック