2011年09月30日

「不可能なことが実現する理由」

著者:ケヴィン・ケリー ( Kevin Kelly )
訳 :堺屋七左衛門


この文章は Kevin Kelly による "Why the Impossible Happens More Often" の日本語訳である。



不可能なことが実現する理由  Why the Impossible Happens More Often

不可能と思っていたことが実は可能なのだと自分に言い聞かせる場面が多くなった。過去何十年かの間には、今まで不可能と思いこんでいた発想が、優れた実用的なアイデアだと判明することが何度もあった。たとえば、イーベイというオンラインのフリーマーケット(蚤の市)が最初に出現したとき、私はそれに懐疑的だった。車を売ろうとする未知の他人にお金を払う? 今まで人間の性質として教えられてきたことから考えれば、これはうまくいくはずがない。でも今では、未知の人による自動車販売は、大成功を収めたイーベイ社の主要な利益の源になっている。

誰でもいつでも書き換えられる百科事典という発想など、成功しないと思った。見込みのない夢物語で、うまく行くはずがない。人間の性質や集団の相互作用に関する私の知識に反していると思われた。でも全く間違っていた。今日では、私は少なくとも1日に1回ウィキペディアを使っている。

今から20年前に、分別と教養のある人たちに対して、次のようなことを納得させる仕事を依頼されたとしたら、私にはできなかっただろう。あと20年のうちに、全世界の道路地図や衛星写真が個人用の携帯型電話機で見ることができて、無料で、しかも多くの都市については街路の実景写真がついている、ということだ。私としては、それが「無料」になるという経済的論証ができなかった。当時はそんなことは全く不可能だった。

このように不可能と想定されていたことが、ますます頻繁に実現している。人間は無料で働いたりしないし、もし働くとしても管理者不在では役に立つ仕事ができるわけがないと誰もが「知って」いた。しかし今では、無給あるいは管理者なしで働くボランティアによって制作されたソフトウェアを使って、経済活動の大部分が進行している。人間は本質的に個別の存在であると誰もが承知していたが、それにもかかわらず、完全公開の常時共有という不可能が実現している。人間は基本的に怠惰であって、創造するよりも見るほうを好み、座っているソファを離れて自分のテレビ番組を作ったりしないと誰もが考えていた。何百万人ものアマチュアが何億時間もの動画を制作することはないし、それを誰かが見たりしない。ウィキペディア、リナックス、ユーチューブのようなものは理論的に不可能だ。しかし、今ではその不可能が実際に行われている。

まだまだ例をあげることができる。以前の不可能が今では可能になるということが毎日起きている。しかし、それはなぜか? 昔からの不可能と可能の境界が崩壊するとき、何が起こっているのか?

一言で言えば、創発である。不可能なことが実現している事例のいずれについても、私の知る限り、新しくて高い次元の構造が出現している。このような結果は、大規模な共同作業、あるいは莫大な量の情報の集積、世界的規模の構造、巨大なリアルタイムの社会的交流などによるものである。多数の個別の細胞と比べると、生物組織は新しくて高い次元の構造であるのと同じように、新しい社会的構造は、個別の人間に対して新しくて高い次元になっている。どちらの場合も、新しい段階では創発が起こる。新しい段階においては、もとの低い段階で不可能だった新しい挙動が出現する。生物組織では、細胞にできないことができる。ウィキペディア、リナックス、ウェブなど集団的な組織は、工業化した人間にできなかったことができる。

人間は、長年にわたって新しい社会組織を考案してきた。法律、裁判、灌漑設備、学校、政府、図書館、そして最も大規模なもの、すなわち文明それ自体に至るまで。このような社会的な手段は、私たちの人間性の源であると同時に、それがあるために人間の行動は、動物の視点から見れば「不可能」なものになる。たとえば、書くことを発明したとき、文書記録や法律を通じて一種の平等主義が可能になった。それは人類の親戚である霊長類には不可能であるし、また、口述による文化には存在しない。灌漑と農耕によって培われた協力と連携のおかげで、予測、準備、未来に対する感覚について、多くの不可能な行動が実現した。人間社会のおかげで、以前は不可能だった人間のさまざまな行動が地球上に存在するようになった。

テクニウム(訳注:文明としての技術)は、新しい社会組織を発明し続けることによって、新しい不可能の創造を加速している。イーベイの優れた点は、安価で手軽で迅速に信用状態を得る方法を発明したことだ。自分の交際範囲を越えて、永続的な信用をすばやく供与する技術ができたおかげで、見知らぬ人が遠く離れた見知らぬ人に物を売ることができる。このささやかな革新が、新しい高度な段階の協調を切り開いた。それによって、今まで不可能だった新しい種類の交換(遠隔地の他人同士の売買)が可能になった。ウィキペディアの「差し戻し」機能のおかげで、ページを荒らす行為よりも荒らされたページを元に戻すことのほうが容易になった。今まで大規模には実現していなかった人間の行動の一面を強調することで、新しい高度な信用の構造を生み出している。

私たちは社会的コミュニケーションをいじり始めたところだ。ハイパーテキストやワイファイ(Wi-Fi)、GPS測位システムなどが始まったばかりである。コミュニケーションについて実現可能で最もすばらしい発明は、その大部分がまだ考案されていない。今の私たちは、真の地球規模での熱狂の初期段階にいる。人間が全世界的なリアルタイム社会に織り込まれると、不可能なことが本当に爆発的に実現し始める。何か自律的な地球意識のようなものを発明する必要はない。一人ひとりが他のみんなとつながるだけでよい。この共有された人間の意識によって、今は不可能だと思われる何百もの奇跡的出来事が、やがて可能になるだろう。

私は、今後何年かのうちに、自分の考えを大幅に改めることを楽しみにしている。人間にとって「当然」だと思っていたことが実はそうでなかったり、また、不可能な発想が可能になったりすることがどれだけあるかに驚くだろうと思う。人間は好戦的であり、戦争を好むと「誰もが知っている」のだが、今後は組織的な戦争はどんどん魅力的でなくなる。それは、新しい社会的紛争の実行手段および社会的紛争の解決手段が世界規模で発生するからである。人間が互いに殺し合うことをやめるわけではなく、領土をめぐる計画的で儀礼的な戦闘は、たとえばテロリズム、極限的スポーツ、破壊活動、マフィア、組織犯罪など、他の活動に取って代わられる。ソーシャルメディアという新しい技術は、嘘、詐欺、窃盗、殺人の全く新しい方法を生み出すだろう。奴らはすでに実行している。(極悪非道のハッカーは、ソーシャルメディアを使って企業のネットワーク管理者を特定し、業務外の個人的趣味を調べる。その人のお気に入りブランドの素敵な新製品をプレゼントするように見せかける。プレゼントを開けると、その人の計算機を乗っ取り、さらに管理するネットワークを掌握する。)そう、不可能が可能になると予想されることの多くは、ありえないほどひどいものだ。

それは私たちの想像を超えているだろう。なぜならば、その実現される程度を思い描くのは困難だからである。大きい集団は統計学の法則に支配されているが、人間の頭脳は統計学がわかるほどには発達していない。監視するデータの量は非人間的な多さである。ギガ、ペタ、エクサなどという単位は、人間には全く意味がない。それは機械のための語彙である。集団としての人間は、個人とは異なる行動をする。さらに重要なこととして、個人としての人間は、集団では異なる行動をする。

長い間そのとおりだった。これまでと違うことは、世界的規模のつながりという高度な領域へ向かって人間が進んでいく速度である。私たちは構造転換に巻き込まれている。斬新な方法で人がつながるような、大きくて速い社会組織への転換である。何十億の人々を結びつける何百万通りもの方法があり、それぞれの方法を通じて、私たち人間に関する新しい発見がある。今まで隠れていたことが顕在化する。他の人は、これをノウアスフィアとかメタマンとか巣の精神と名づけている。これにはまだ良い名前がない。

私は以前、蜂の例を取り上げたことがある。何世紀もかけて蜂を徹底的に研究すると、個別の蜂それぞれについては、蜂の巣全体としての挙動は何も見られなかった。それは個別には存在せず、蜂の大群がいて初めて出現する。蜂の寿命は6週間ほどだから、何年もにわたる記憶は不可能である。しかし、個別の蜂が集団になると、数年の記憶が可能なのだ。人類も巣の精神に移行しつつある。人類について「誰でも知っている」ことの大部分は、個別の人間を基にしている。人間が集団としてつながれば、現時点では想像できないことが可能になるだろう。その未来の現象は、当然、今は不可能に見える。ウィキペディアが不可能だという考え方が後退して、まったく自明なことになったのと同じように、想像のつかないものが現れてくる。

物事のつながりはリアルタイムになり、多方向に向かって世界的な規模で、大きい物でも小さい物でも、人間の許可を得た上でつながるようになる。そうすると人間の行動は新しい段階に移行し、私たちは不可能が実現するのを見て驚き続けるだろう。

私の予測では、あと何年かのうちに最大の驚くべきこと、すわなち、予測していなかったことが起こる。それは、新方式の大規模な社会的交流によるものだろう。人間は今後の技術革新の進展を予測することには上達しているが、その一方で、巣の精神(集団意識)で何が起こるかを予測することは得意ではない。巣の精神、すなわち、人間がつながったり、離れて再びつながったりする多数の方法を探求することは、人間の文明にとって当面の主要な活動となる。もしも私が正しいとすれば、私たちは不可能が可能だと認めることに上達しなければならない。





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posted by 七左衛門 at 00:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | 翻訳    
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