著者:ケヴィン・ケリー ( Kevin Kelly )
訳 :堺屋七左衛門
この文章は Kevin Kelly による "The Art of Endless Upgrades" の日本語訳である。
終わりのないアップグレードの技を磨く The Art of Endless Upgrades
私たちが結婚して今の家に最初に入居したとき、建物にコーキング(水漏れ防止)をする必要があった。チューブに20年保証と自慢げに書いてあるシリコーンコーキング材を見つけた。すごい、と思った。もう二度とこの作業をしなくて良いはずだ。
20年後、これはどうなってるんだ? コーキングはボロボロになり、傷んで、役に立たなくなりつつある。あのとき20年は永遠だと思っていたが、そうではないことを今にして実感する。私は60歳近い年齢になって、これまでの人生で永続的な物が衰退することを理解している。驚くべきことに、アスファルトは永久に持続するものではない。鉄も、そして石も、永久ではない。思いつく中で最も恒久的なもの、すなわち私たちの足下にある地球は、60年の間に目に見えて動いている。我が家が建っている丘は、ゆっくりと滑り落ちている。百年経つと木の根が基礎を破壊する。何かを千年持続させようとすれば、それはほとんど達成不可能だということがすぐにわかる。今までに作ったものがエントロピーによって日々壊れていくのに対抗するためには、秩序とエネルギーを常に作用させ続ける必要がある。
ここまで60年かかったが、最近、私は突然ひらめいた。あらゆるものは例外なく、それ自体を維持するためにさらなるエネルギーと秩序を必要とする。生物だけでなく、私たちが知っている中で最も無生物的なもの、たとえば墓標、鉄柱、銅管、砂利道、紙でもそうだ。いずれも手入れや修理をして、さらに秩序を与えていかなければ、あまり長く持続しない。人生はメンテナンスである。
私が最も驚いたのは、ソフトウェアに必要とされるメンテナンスの量が膨大なことである。ウェブサイトやソフトウェアプログラムを動かし続けるのは、ヨットを動かし続けるようなものだ。それは注意力のブラックホールである。時間とともに機械装置が壊れるのはある程度理解できる。湿気により金属が錆びる。空気により膜が酸化する。潤滑油が蒸発する。いずれも修理が必要である。しかし、無形のビットの世界でも同様に劣化するとは思っていなかった。何が壊れてしまうのか? どうやら、あらゆるものが壊れるようだ。
若者は知っておいて欲しい。コードにはゴミが溜まる。半導体チップは衰弱する。プログラムは壊れる。何もしなくても、ひとりでに。
さらに、デジタル環境の変化による強要がある。身の回りのあらゆるものがアップグレードしたり、新しい動作を試みたり、新しい抜け道をさがしたりすると、それがウェブサイトへの圧力となってメンテナンスが必要になる。自分はアップグレードするつもりがなくても、他のみんながしているのだからせざるを得ない。
このアップグレードの軍拡競争は、私生活にも波及している。アップグレードに対する私の考え方は根本的に変わってしまった。以前はぎりぎり最後になってから嫌々アップグレードしていた(まだ使えるのにアップグレードするなんて)。アップグレードで面倒なことになるのは珍しくない。何か一つをアップグレードすると、突然あれもアップグレードしなければならなくなって、さらにあちこちでアップグレードが必要になる。ごく一部の「わずかな」アップグレードが、大規模な崩壊をもたらすことがある。しかし、個人のための技術が複雑になり、共依存的になり、自分の生態系のようになってくると、アップグレードを先延ばしにするほうが、かえって破壊的である。したがって今では、私は、アップグレードはメンテナンスの一種だと思っている。存続のためにしているのだ。技術を使う未来の生活は、終わりのないアップグレードの連続になるだろう。
アップグレードしながら生きていく覚悟を持つことは、学校で教えるべき生活技能である。実際のところ私は、自分のデジタル生態系をより良くメンテナンスする方法を学びたいと思っている。アップグレードのための禅と技術があるはずだ。
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