2011年12月21日

「過激な楽観主義」

著者:ケヴィン・ケリー ( Kevin Kelly )
訳 :堺屋七左衛門


この文章は Kevin Kelly による "Radical Optimism" の日本語訳である。



過激な楽観主義  Radical Optimism

私は今の世の中で最も楽観的な部類の人間である。世界はいろいろな点で日々良くなりつつあると本気で思っている。しかし、昨夜(訳注:2011年3月22日)、私よりもさらに激しく楽観的な人に会った。うれしいことだ。私はまだ成長する余地がある!

ロングナウ財団の長期思考に関するセミナーで、マット・リドレーが "Deep Optimism"(強度な楽観主義)と題して講演した。リドレーは最近の著書 "The Rational Optimist"(邦訳 『繁栄――明日を切り拓くための人類10万年史』)で、人間の文化は言語により形成されたもの(これが社会通念だ)ではなく、アイデアの交配により形成されたと主張している。これは有益な理論ではあるが、まだ驚くほどではない。それよりもずっと刺激的で強力なことがある。リドレーはさらに大胆な主張をしている。進歩は本物であり、永続的で広範囲に波及し、しばらくの間はとどまることはないという。言い換えれば、文明全体はこれまでに、そして現在も、真の成長を遂げている。それは文明のいろいろな側面にかかわり、しかも特権階級だけでなく大多数の人にとっての成長である。さらに言えば、この善事には止まる気配がない。

しかし、増加しているのは物質的な豊かさだけではない。リドレーの提言と洞察で重要な点は、人間の生活というソフトな側面においても、実証可能な進歩があるということだと思う。リドレーは次のように述べている。

私たちは、さらに健康で、清潔で、賢明で、親切で、幸福で、そして平和になりつつある。

「もしかしたら」とか「どちらかと言えば」ではなくて本当なのだ。それぞれの場合について、リドレーはこれを裏付けるデータを示している。

図らずも、私はリドレーと同意見である。独自の調査を通じて同様の結論に至っている。リドレーが昔からずっと楽観主義者だったのかどうかは気になるところだが、彼は自分で違うと言っている。1980年代から90年代初めの頃は、典型的な心配性の環境保護主義者だった。しかしジャーナリストとして情報源を精査するうちに、ハルマゲドンの到来に疑問を持ち始めた。さらにジュリアン・サイモンの本 "Ultimate Resource"(究極の資源)を読んで、その疑問に関する基本的枠組みを構築した。(サイモンが言うところによると、あらゆる物理的資源は代替可能である。枯渇しそうになったり、生産コストが高くなったりすると、代替品が見つかる。唯一、代替不可能な資源、すなわち究極の資源は、人間の知性である。知性は多ければ多いほど良い。)

「強度な楽観主義」についての講演で、リドレーは、整然として総合的で、驚くほど詳細な事例を紹介した。視覚的にわかりやすい一つの測定基準として、同じ便益を得るのに要する労働時間が年々少なくなっていることを示した。たとえば、1時間分の夜間の人工照明である。1800年には、1時間相当のろうそくを購入するための典型的労働時間は6時間であり、したがって、労働者はほとんどろうそくを買わなかった。1880年には、1時間相当のランプ用灯油を購入するために15分の労働が必要であった。1950年には、電球のための1時間分の電気料金を払うのに要する労働は8秒であった。1997年には、小型の蛍光灯を1時間点灯するための労働は、わずか0.5秒、ほんの一瞬になった。

リドレーの他にも、進歩は本物だという説を主張する過激な楽観主義者が何人かいる。たとえば、故ジュリアン・サイモン自身も、あるいはレイ・カーツワイルやビョルン・ロンボルグもそうだ。しかし、技術的進歩に重点を置くカーツワイルと比べると、リドレーはそれほど技術に関して近視眼的ではない。特異点という歓喜にも言及していない。リドレーの講演では、いろいろな側面における進歩について、サイモンが提示したよりも多くの確かな証拠を示している。また、ロンボルグも相当に注意深くはあるのだが、そのロンボルグが認識していると思われるよりも多くの問題について、リドレーは予測し認識している。あらゆるものが常に良くなりつつあるというのは、かなり過激な主張であるが、リドレーはジャーナリストとしての天賦の才を持っていて、一般的な西洋人にとって妥当と見られるような方法で、その意見を提示していると思う。信じられないとしても、少なくとも主張に耳を傾けることはできる。

進歩に関する良い兆候は、いろいろなところで見られるのだが、気がつかないことが多い。ちょうど、今朝(訳注:2011年3月22日)ニューヨーク・タイムズが進歩についてのグラフを掲載していた。その記事の一部は、 "Getting Better" という新しい本を出版した経済学者、チャールズ・ケニー (Charles Kenny) の研究に基づいている。雑誌フォーリン・ポリシー (Foreign Policy) の記事でケニーは、物事がこれほど良くなることは今までになかった、として次のように述べている。

いろいろ問題があるとしても、21世紀の最初の10年は、実際のところ人類にとって最良の時期だった。人々がかつてないほど良好で長命で平和で、そして豊かな生活を送ることができた時代である。

1990年には、世界人口のおよそ半分が1日1ドル以下で生活していた。2007年になると、その割合が28パーセントにまで減少した。2010年末にはさらに低下していることだろう。発展途上諸国で「栄養不良」とされる人口比率は、1970年に34パーセントであったものが、2008年には、世界的な食料価格高騰にもかかわらず、17パーセントにまで低下した。農業の生産性も向上し続けている。2000年から2008年までの間に、穀物の生産量は、発展途上諸国の人口増加率の2倍近く上昇した。ジンバブエなど食糧不足の脅威が続いている地域もあるが、それでも、毎日、何億もの人たちが今までよりも多く、また良いものを食べられるようになっている。

武力衝突の件数および死者数は、冷戦の終了後、減少を続けている。戦闘による負傷者は、全世界で2000年から2008年の間に40パーセント減少した。サハラ砂漠以南のアフリカでは、2000年に約4万6千人が戦闘により死亡している。2008年になると、その数は6千人に減少した。全世界のGDPに占める軍事費の割合は、1990年のおよそ半分程度になっている。欧州は今では二つの軍事勢力に分割されているが、年間の軍事費は1998年に7440億ドルだったものが2009年には4240億ドルに減少している。統計記録を十分にさかのぼれないので、絶対確実に歴史上最も平和な10年であるかどうかは不明だが、人口当たりの戦死者数という点において、過去50年間では確実に最低である。

…歴史の中でどの10年間に生きるかを選ばなければならないとしたら、それは21世紀の最初の10年であることは間違いない。多くの人がかつてないほど多大な自由と安全と長寿と財産を得て生活している。そして今、何十億の人が良い話をツイッターでつぶやくことができる。


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New York Times, March 22, 2011, "Hopeful Message About the World's Poorest" By DAVID LEONHARDTから引用


過激な楽観主義について、リドレーが講演では述べなかったが、その著書や会話の中で強調していることがいくつかある。

1) 楽観主義は性格に基づくものではない。(リドレーは自分が楽観的な性格ではないと言っている。)それは証拠と事実に基づく物の見方であり、またそうでなければならない。それは、事実によって確かめることができ、また確かめるべき合理性の一形態である。もし正しくなければ、却下されるものである。

2) 人間は楽観的であるほうが、より良好に行動する。進歩は革新に依存し、革新は楽観を必要とする。楽観が多く存在するところに革新がある。歴史上、革新が集中する場所は、悲観的な社会においても楽観が集中する場所であった。過去の軌跡を信用することが重要である。

3) 悲観主義の大部分は正しい。物事がそのままの状態で続けば、人間は絶望的である。リドレーは次のように書いている。「もし世界が今のまま続けば、全人類は悲惨な結末を迎えるだろう。もしすべての輸送手段が石油に依存していて石油が底をつけば、輸送は停止する。もし農業が灌漑に依存したままで帯水層が枯渇したら、飢餓が発生する。しかし、それには『もし』という条件があることに注意してほしい。世界は今の状態のまま続くわけではない。それが人類の進歩の核心であり、文化の発展の重要な教訓である。」世界はこのまま続くのではなく、ゲームのルールを変えてしまうはずだ。

それにもかかわらず多くの人は、とくに世の中が不公平だと感じている人は、長期間にわたって楽観的であり続けることが難しいと思っている。上記の3点をふまえて、次の思考実験をお勧めしたい。今の過激な楽観主義者が提示している証拠に納得できないならば、どんな証拠であれば納得できるだろうか?

ある一箇所または世界中で、普通の人にとって進歩があったと納得するために、10種類の計測値を10年にわたって収集する必要があるとして、何があれば良いだろうか? 10種類・10年の測定基準を決めて計測してみよう。





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【追記】2011-12-23
当初「特異点の携挙」となっていた部分を「特異点という歓喜」に変更しました。当初の翻訳では、別記事「特異点はいつも近い (The Singularity Is Always Near) 」の記述に基づいて、携挙と訳語を当てた上で同記事の趣旨を要約した訳注を付記していました。同記事の原文ではRaptureと大文字で書いてありました。しかし、本稿 (Radical Optimism) ではraptureと小文字であることから、「携挙」という専門用語ではなく一般名詞として訳すべきであると考え、現状のように変更します。
posted by 七左衛門 at 22:36 | 翻訳