2012年01月04日

「公共が失うもの」

著者:ケヴィン・ケリー ( Kevin Kelly )
訳 :堺屋七左衛門


この文章は Kevin Kelly による "What the Public Commons Is Missing" の日本語訳である。



公共が失うもの  What the Public Commons Is Missing

アイデアや創作の自然な居場所は、共有地すなわちパブリックドメインである。私たちは、アイデアや芸術や発明の創作者に対して、その創作物を共有地の外に置いて一時的に独占権を与えるという工夫をして、より多くの新しいものを作ることを奨励している。それは良いことだ。しばらくの間、米国におけるその一時的期間は、著作権については作品が創作されてから58年(訳注:正確には56年)、特許については17年であった。

不幸なことに、創作者は法人になって、彼らは法律改正のロビー活動をしてきた(さらに国会議員選挙で経済的な支援をした)。この法律改正により、それまでは「一時的」だった期間が、著作権については無期限にまで延長された。(訳注:正確には公表後95年)

ということは、通常ならば今年パブリックドメインに移行するはずであった多くの映画、文学、音楽の作品(1955年までに完成したもの)が、そうではなくなった。このページには、パブリックドメインにならなかった1955年の作品リストがある。たとえば、Lady and the Tramp(邦題:『わんわん物語』)、To Catch a Thief(邦題:『泥棒成金』)、The End of Eternity(邦訳:『永遠の終り』)など。

大きくて活発なパブリックドメインがあるというのは、文化のための利益になる。ディズニーの最も偉大な傑作は、すべてパブリックドメインにある物語に基づいている。ウォルト・ディズニーは、パブリックドメインのアイデアや登場人物を他人が利用して、楽しさとお金をもたらす方法を示した。しかし皮肉なことに、ウォルトの死後、ディズニー社は、自分たちのごくわずかな独創的アイデア ――たとえばミッキーマウス―― がパブリックドメインに移行することを防ぐために、著作権延長の強力な支持者となった。同じく皮肉なことに、ディズニーがパブリックドメインを握りつぶそうとするときには、彼ら自身の莫大な財産を衰退させている。なぜならば、その創造性の主要な源泉、すなわちパブリックドメインの題材を抑圧しているからである。ディズニーは独自の新しい題材を創造することができず、ピクサーを買収しなければならなくなった。

構成員が自分勝手に振る舞って、公共に対して正当なものを否定するとき、公共の悲劇が起こる。ディズニーを見ればわかるように、構成員がその創作物を共有プールから遠ざけて他人に活用させない場合には、その利益は長続きしない。ミッキーマウス、スーパーマン、そして究極的にはダース・ベイダーやルーク・スカイウォーカーも、すべて公共に属すべきものである。本当にそうなったときには、世界はもっとすばらしい場所になるだろう。

不合理な知的財産法を撤廃して、その保護期間を創作者の存命中だけにとどめるべきである。(死後にどうやって発明ができるのだ?)その一方で、この作品群を使って、創造力のある一般大衆は何ができるかを考えてみよう。そして、嘆き悲しもう。なぜならば、そのようなことが長年にわたって起こらなくなるのだから。





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posted by 七左衛門 at 19:38 | 翻訳