訳 :堺屋七左衛門
この文章は Kevin Kelly による "Post-Artifact Booking" の日本語訳である。
生成物以後を“書籍する” Post-Artifact Booking
クレイグ・モッドによる、この長くて詳細なシナリオは、画面上の出版に関する良い考察である。モッドは、デザイナー、思索家、出版者である。本と出版に関する「システム観」を概説していて、私が最近見た中では最も優れた本の定義を述べている。
実際のところ、検討に値する本は関係によってのみ形成されている。発想とその受け手との関係。著者と読者との関係。読者と他の読者との関係 ―― すべては時間を超えて書き物として存在する。
モッドはネットワーク化された本という考え方に賛同する。そして、オープンブックマークス(Open Bookmarks)の開発者ジェームズ・ブライドル(James Bridle)の言葉を引用している。
誰かに本を貸すかわりに、ブックマークを貸すという未来を想像してみよう。そこでは、メモや注釈や参照がプラットフォームやアプリケーションを超えて同期している。ブックマークは個人に属していて、どこでどのように本を読んでも、その読書記録はすべて安全に記録され保管されている。
本が生成物ではなくて過程であるという考えに基づいて、モッドは、この図表で来たるべき本の過程を提示し、次のような解説文を付記している。

左から右へ順を追って変化を見ていく。
・読者との結合(共同体および対話の形成)は、生成物以前のシステムにおいて直ちに始まる。
・発想と読者との間にあった2年の断絶は、数時間、数日、または数週間にまで短縮される。
・出版社と著者の境界線が曖昧になる。
・印刷することを選択した場合、従来は「偉大で不変な生成物」だったものが、ここでは単なる「不変な生成物」になる。
・デジタル生成物の制作時間(原稿が完成してから読者の手に渡るまで)は、物理的な本の制作時間よりも著しく短い。
・流通を利用するという伝統的な権限は、デジタルの世界では大幅に重要性が低下する。アマゾンのキンドルストアやアップルのiBooks (アイブックス)ストアなどのデジタル流通経路は、どこにいても利用できる。誰でもePub(イーパブ)ファイルを使って、世界中の重要な販売場所に到達できる。
・生成物以後のシステムが真にネットワーク化されて、累積的な対話と注釈はデジタル的にのみ存在する。
(訳注:Craig Mod の文章および図表は "Post-Artifact Books & Publishing"から引用。)
根本的な転換は、本を生成物ではなくて過程だと考えることである。いま私たちは、書籍(book)の文化から「書籍する」(booking)文化へ移行しつつある。興味の対象は、もはや書籍という名詞ではなく、「書籍する」という動詞である。それはすなわち、思考、執筆、編集、執筆、公開、編集、画面表示、執筆、画面表示、公開、思考、執筆、……という連続した過程であり、そこから偶発的に本が出てくるのだ。本というものは電子書籍も含めて、「書籍する」過程の副産物である。
従来の本を作るための、執筆、編集、装幀、印刷、販売、営業などそれぞれ個別の過程は、今では「書籍する」という単一で区別のない過程に融合している。現時点での電子書籍の看板娘アマンダ・ホッキング(ニューヨークタイムズのすばらしい紹介記事参照)は、過去数年間に「書籍する」ことで成功を収めた。アマンダは執筆、編集、出版、宣伝をして、一連のベストセラー小説を生み出した。書籍する人である。アマンダは書籍している。
アマゾンがキンドルを通じて「書籍する」ことを容易にしたせいで、スパマー(迷惑投稿者)たちの国土ができて、彼らはその新しい領土を汚染しているところだ。本のスパマーはウィキペディアその他あちこちから内容を「借りて」きて、安くて手軽な価値のない本を大量に作っている。このような価値のない文書の氾濫は、良いものを見つけることを困難に(そして、貴重に)する。しかし、他の何百万人もの予備軍が同様に「書籍する」ことを始めるだろうし、さらにその中の一部は、いつの日か古典になるのだろう。
書籍することは、ブログやブイログ(訳注:映像によるブログ)、ポッドキャスティングなどと同様に一般的になると思う。モッドの主張を要約すれば、書籍することで得られるものは生成物には限らないということだ。書籍することは関係を生み出す。書籍することは、読者、著者、人柄、発想、物語を複雑なクモの巣状に結びつける過程である。このような関係を作り上げるためには、何百万通りもの方法がある。その中には、紙の上で断続的に順を追って展開する物語という古来の方法も含まれる。しかし、それはクモの巣を作る一つの方法にすぎない。書籍する方法はそれ以外にもあって、読者の力を拡大するもの、共有を活用するもの、あるいは完成に何年も要する関係もある。書籍するために可能な方法の探索は、まだ始まっていない。
「書籍すること」と「画面すること」の関係も密接になる。「画面すること」は、視聴者側の行為である。視聴者は本以外のものも画面に表示するが、画面することは今では書籍することの一部になっている。画面上に創造的な作品を表示するために、多数の新しい方法ができて、それが書籍する過程を拡大する。書籍する過程は、新しい画面表示の方法によって増幅され、強化され、拡大され、加速され、活用され、新しい意味が再定義される。
本は終わったかもしれないが、書籍することは始まったばかりである。
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