2012年09月29日

「生まれながらにデジタル」

著者:ケヴィン・ケリー ( Kevin Kelly )
訳 :堺屋七左衛門


この文章は Kevin Kelly による "Born Digital" の日本語訳である。



生まれながらにデジタル  Born Digital

デジタルの世界に生まれて成長するとはどういうことなのか? 私の友人や読者から聞いた逸話をいくつか紹介する。


私の友人には、まだ5歳にならない女の子がいる。今どきの家庭では珍しくないことだが、家にテレビがなくて、パソコンは多数ある。友人が娘と一緒によその家に行ったところ、そこにはテレビがあり、別の部屋でテレビがついていた。娘はテレビのある場所に行き、その周辺をさがして、さらにテレビの後ろをのぞき込んで「マウスはどこ?」と尋ねた。


別の友人には、しゃべり始めたばかりの幼児がいて、その子は友人のiPad(アイパッド)を占有している。まだ歩けないうちから、苦もなく上手に絵を描いたり、アプリで複雑な操作をしたりする。今では、iPadはその子の持ち物のようになっている。ある日、友人は高画質の画像を写真用紙に印刷して、テーブルの上に置いていた。気がつくと、幼児がその写真の所に来て、iPadでするのと同じようにピンチアウトして拡大しようとしている。何度か試してみたがうまくいかないので、友人のほうを向いて「壊れてる」と言った。


21歳の読者がこんな話を教えてくれた。彼女はテーマパークで働いている。あるとき小さな女の子が写真を撮ってもらったが、その後で、こう言った。「でも、これは本物のカメラじゃないよ。カメラの裏側に画面がない。」


他の読者から聞いた話。彼女の息子は2歳の頃からパソコンを触っている。食料品店で買い物をしているとき、ある商品のラベルがどこにあるかさがしていると、息子が「クリックしたらいいのに」と言った。


また別の知人がこんな話を聞かせてくれた。その知人には8歳くらいの息子がいる。その子と昔の話をしていて、知人が子供の頃にはパソコンがなかったと言うと、息子はその事実に戸惑って、こう尋ねた。「パソコンがない時代には、どうやってインターネットに接続したの?」


この幼児たちの話から、私は二つのことを学んだ。マウスやジェスチャーに反応しないものは、壊れている。インターネットは、パソコンや機器に関連するものではなくて、何か神話みたいなもの、ずっと大きなものであり、人類全体にかかわるものである。





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posted by 七左衛門 at 17:01 | 翻訳