訳 :堺屋七左衛門
この文章は Kevin Kelly による "Pre-Globalism" の日本語訳である。
グローバリズム以前の世界 Pre-Globalism

観光には、少なくとも千年の歴史がある。古い中国の記録によれば、宋王朝の都、杭州の西湖を眺めるために、訪問客が列をなしたという(写真は現在の西湖)。宋の皇帝は、来訪者を引き寄せ、また、楽しませるために、この湖に土手道、あずまや、石橋などを作った。人々は景色を見るためだけに来訪している。これは、まさに観光の定義にあてはまる。
その頃、また、さらには古代ローマ時代までさかのぼって、観光と言えるものがいくらか存在したとしても、それは希少であり、わずかな場所に限られていた。今日では、世界中のどんな町にでも、少なくとも月に何人かの観光客が来訪する。世界全体では、観光は1兆ドル規模の産業である。私たちは、観光によってものごとが混合される効果を過小評価している。グローバリズムという言葉には、多くの意味があって、その一つは、単に、遠く離れた他人を意識し体験することである。このような世界的体験は、映画やウェブサイトを通じて、異なる生活様式を知ることによっても得られるが、それだけでなく、旅行中に自分の目で直接見るという体験がますます多くなってきた。旅行は、もはや金持ちの贅沢ではなく、中流階級の楽しみである。
1970年代あたりのどこかの時点で転換があった。それ以前は、遠隔地にある異質なもの、全く異なる文化へ飛び込むために旅行するのは、非常に面倒なことだった。その旅行には、縁故、信用状、紹介、荷物を運ぶポーター、資金移動の支援などを要する。そして、何よりも札束が必要だ。どこかの部族を訪問するためには、十分な計画立案と、専門的支援のネットワークが必要だった。都市から外へ出ることは、すべて探検だった。探検は気軽にはできない。しかし、それだけの計画や準備をした上での最終結果として、いつもとは違う現実、異なる文化へ入り込むことができた。そこには、異なる行動基準があって、自分の故国との共通点はごくわずかしかない。この楽しみを得る金銭的余裕のある人はきわめて少数だったが、実行した人にとっては、非常に中味の濃い体験だった。それは、伝道者、人類学者、探検家の領域だった。
現在まで時間を早送りすると、今では、ほとんど誰でも、遠く離れた土地へ飛行機で行くことができる。事前の計画なしに、また、あまりお金をかけずに、地球上の最も遠い場所まで3日あれば到達できると言っても過言ではない。私の寝室を出て24時間以内に、世界の95パーセントの場所に到達して、誰かの小屋に腰を下ろすことができる。そのための費用は、たいていの人にとっては、2週間分の所得に相当する程度のものだろう。どこかの部族の生活も含めて、他の文化に入り込むことがきわめて容易になったが、その文化は自分の故国の文化と共通点が多く、昔ほどの違いはない。その土地の若者は、自国の若者と同じ音楽を聞いているし、同じ映画を見て、同じことを学校で学び、同じ電子機器を使っている。どの国の僻地の村でも、必ず他の場所と深いつながりがある。この少しだけ異質な世界は、NGOの援助職員、旅行者、あるいは、旅行ガイドブック『ロンリープラネット』で紹介されているパンケーキ・キングダム(訳注:ミャンマーにあるパンケーキの店)の領域である。
しかし、1960年代から1970年代のわずか20年の間、誰でも、少しのお金でどこにでも行けて、到着した目的地は、まだグローバル化の影響を受けていないという時期があった。地図もなく、ガイドブックもなく、カフェも、ATMも、ネットのフォーラムも、そしてホテルさえもなかった。驚きの連続だった。そのような時期に、私は旅をしていた。非常に深く、非常に異質で、非常に安い旅だった。私のようにほとんどお金のない者が、トラックやジープ、あるいはカヌーに乗せてもらって、アフガニスタンやマリの古風な村や、インドネシアの昔のままの島に行って、非常に異質で著しい相違のある文化を経験することができた。次に訪れる村や町がどんな所なのか、全く見当がつかないことが多かった。わずか数ドルで、惑星間宇宙旅行をするようなものだった。
そんな時代は過ぎ去った。地球上に、グローバル化の影響を受けていない場所は、ほとんどない。その証拠としては、市場で売っている物、人々が着ている衣服を見ればよい。あるいは、標識、交通手段、建築様式などの慣習が統一されつつあることも挙げられる。また、旅行業界が地球規模になっている。地球上のどこのホテル、宿屋でも、さらにはホームステイでさえも、利用者の感想を読むことができる。どこの都市についても、地図やチャット付きでおすすめ情報を得ることができる。あらゆる情報が入手できて、その中から(あなたにとって)最も興味深い訪問先を選択するだけで良い。出発する前に、それが可能である。
残念なのは、地球上で大きな相違があまり見られなくなってきたことだ(ただし、あちこちに例外があって、それを探索するのが私の趣味である)。その一方で、ありがたいことに、どこへ行くのも非常に安価で容易になっている。さらに、最も重要なこととして、たいていの場所には、何度も訪問する価値のある相違が残っている。旅行という薬は、効き目は弱くなってきたが、それでも、混乱や癒しや刺激を与えてくれる。だから、私は、いろいろな場所に行って、相違のある場所をさがしている。その目的は必ずかなえられる。どこかに到着することは容易になっているが、その行き先は、細心の注意をもって選ぶ必要がある。
しかし、つながり以前の世界に戻ろうというわけではない。私は今の状況を歓迎しているし、つながりのなかった場所に住んでいる人々も同じだろう。村に外国人が訪れることが(あらゆる人にとって)衝撃だった時代には戻れない。今では、どこの村にも外国人が時折訪れる。村に電気が来たのと同じように、外国人訪問者が来る。毎年、何百万人単位で増加する旅行者の交流は、微妙な相互作用、すばらしい教育、静かな橋渡しなどを生み出して、ついには電気や道路のように強力な存在になるだろう。
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