訳 :堺屋七左衛門
この文章は Kevin Kelly による "Beyond the Uncanny Valley" の日本語訳である。
不気味の谷を越える Beyond the Uncanny Valley
昨夜、映画「タンタン」を見た(訳注:原文発表は2012年1月)。素晴らしいものだった。不気味の谷を越えて、ハイパーリアル(超現実感)に突入したのだと思う。
不気味の谷とは何か? ロボットやアニメーションを人間らしく見えるようにすると、あるところまでは、次第に親近感が強くなる。しかし、人間にかなり近づいてくると、わずかに残る差異のせいで、気味が悪いと感じることがある。それが「不気味の谷」の理論であり、映画「ポーラー・エクスプレス」の登場人物や、ピクサーの初期の短編映画の赤ん坊を見たときに、気味が悪いと感じる理由だと推測されている。その登場人物は、却下するには人間的すぎるし、受容できるほどには人間的でない。コンピューター・アーティストたちは、人工的な生物については、ずっと昔に、100%の現実感というテストに合格している。たとえば、映画「アバター」のナヴィ、映画「ロード・オブ・ザ・リング」のゴラムなど。そして今、人間についても(少なくとも私にとっては)、「タンタン」でそのテストに合格した。

石黒浩『ロボットとは何か』(講談社現代新書)より
「タンタン」の最初の数分間は、登場人物の顔を見て、一瞬、戸惑いを感じる。何かがわずかに足りないような気がする。しかし、すぐにその時期は過ぎ去って、その後は、人間が(それに動物も)全く本物のように見える。その動作や、皮膚の質感、髪、表情、目など、あらゆるものが本物だと主張している。実際には作り物にすぎないのだが……。そのおかげで、水、天候、空気、砂、街の様子など、周囲の環境にも100%の現実感がある。
要するに、私たちは、不気味の谷を越えて、ハイパーリアリティーの平原に進んだのだと思う。
映画「タンタン」の大きな魅力は(素晴らしいストーリーや、わくわくする感性の他に)、各場面において、細部の描写、質感、照明、劇的効果などが、驚くほどよく表現されていることである。映画は、すべて人工的画像なので、場面の構成、照明、配置、撮影は、いずれも理想的なものにできる。タンタンの漫画の原作が持っていた絵画的な完成感を、この映画は再現している。たとえば、タンタンの部屋、裏通り、船の甲板などの細部が、実物ならそう見えるだろうと思われる以上に、きわめてはっきりと見えるのだ。全てがはっきりと見える。タンタンがバイクで悪者を追いかけていて、バイクが壊れる場面でも、不明瞭なものは何もない。いかにも本物らしい機械部品が、すべて本物らしく光っている。この技法では、各場面の隅々まで本物らしさが強調されているので、現実以上の現実感がある。実際の生活では、本物らしいものが見えていても、決してこんな見え方はしない。この方法によって、映画がハイパーリアルになっている。この人工的な世界は、本物よりも本物らしく見える。
すでに不気味の谷を越えて、観客は、完全に人工的な俳優を受け入れているのだから、今後、映画制作者は、ハイパーリアルの限界に挑戦しようとするだろう。SF映画では、より現実感のある異星人や異星の環境が見られるようになるはずだ。SFだけでなく、現代の光景として、ハイパーリアルな郊外や、ハイパーリアルな大都会に、ハイパーリアルな普通の人々がいる場面も見られることだろう。今から10年ほどの間に、映画監督たちは、さらに多くの、そしてさらに高度なハイパーリアル映画を制作して、私たちがうんざりするほどになると思う(ハイパーリアルでハイ・ダイナミックレンジ(高階調)のスチール写真に対して感じているのと同じように)。それと同時に、不安定で、ザラザラした画質で、焦点のぼやけた、手持ちのビデオカメラのようだが、実は完全に人工的な世界というものも見られるだろう。さらに、その両極端の間には、中間的な世界が無数にある。
20年後には、この部分は本物なのか、あの部分は本物なのか、などと議論することもなくなってしまうだろう。
この作品は、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています。