2014年01月21日

「跳躍的な技術普及は起こらない」

著者:ケヴィン・ケリー ( Kevin Kelly )
訳 :堺屋七左衛門


この文章は Kevin Kelly による "Why Leapfrogging is Rare" の日本語訳である。



跳躍的な技術普及は起こらない Why Leapfrogging is Rare

2年前に(訳注:原文発表は2008年5月)、私は、跳躍的な技術普及に対する疑念を記事に書いた。新しい環境保護的なデジタル技術が、古くて汚れた技術を跳び越えて普及すれば良いと本当に思っていたのだが、その証拠を見つけられなかった。そこで、The Myth of Leapfrogging(跳躍的な技術普及という神話)を投稿したのだった。その要点は、跳躍的な技術普及の象徴的事例である携帯電話に関する話である。携帯電話は固定電話よりも急速に増加しつつあるが、固定電話自体も今なお増加しているという事実がある。固定電話は、携帯電話の後を追っている。携帯電話が生み出したトラフィック(通信量)を、固定電話が銅の電線に「焼き付けている」とも言える。携帯電話が先行するという意味では、携帯電話は固定電話を跳び越えて発展している。しかし、通常の意味で「跳躍」というと、多くの人が考えるのは、何かを全く行わずに「跳び越える」ことだが、ここでは、そうなっているわけではない。固定電話は消滅していない。

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「跳躍」という証拠はないが、私は、やはりそれが起こると信じたい。そこで、跳躍的な技術普及が相当な規模で起こったという証拠を公募しようと思う(よく知られた携帯電話以外で)。太陽光発電やインターネットに関する跳躍的な技術普及の事例は、たいてい小規模な予備的試験である。事実と言うよりも兆候だ。

元の記事で、私は「ローテクなしにハイテクはありえない。ローテクをとばして技術が普及することはない」という結論を下した。言い換えれば、「ハイテクには、土台となる一連のローテクが必要だから、中間層としての古い技術なしにハイテクを利用することは非常に難しい」ということである。この記事には、多少の賛同も反論もあったが、跳躍的な技術普及に対する世間の見方は変わっていない。一つには、私の意見の証拠となるデータを提示しなかったこともある。ところで、先週のエコノミスト誌に、世界銀行の調査結果が掲載された。その調査では、私の意見と同様に、跳躍的な技術普及は疑わしいという。このThe Limits of Leapfrogging (跳躍的な技術普及の限界)という記事は、次のように述べている。

…最新技術が広く行き渡るかどうかは、中間的技術の強固な基盤の存在によって決まる。先進諸国では見過ごされがちだが、21世紀のハイテク機器は、20世紀、時には19世紀にさかのぼるインフラストラクチャーによって支えられている。たとえば、計算機やブロードバンド回線は、信頼性の高い電源がなければ役に立たない。最新の医療機器は、基本的な衛生管理や医療施設が欠乏している国では、あまり有用ではない。エチオピアの全ての病院にインターネット接続環境を提供するプロジェクトが、数年前に中止された。インターネット接続の有無は、同国の病院の最重要課題ではないことがわかったからである。


エコノミスト誌が引用する世界銀行の調査(pdf)によれば、高度な技術が発展途上国に導入されると、最初は広まり始めるが、やがて失速することが多い。素晴らしい技術であれば、普及率5%にまで到達するが、なかなかそれ以上の成功を収めることはない。エコノミスト誌は、次のように述べている。

世界銀行のデータベース(明らかに不十分だが)によれば、裕福な国では、5%に到達した新しい技術が28例あり、そのうち23例が50%を超えた。すなわち、裕福な国では、ある程度の足がかりを得ることができたものは、広く普及することが多い。

新興国市場では、必ずしもそうではない。世銀のデータによれば、発展途上国で67例が5%に到達したが、市場の半分を占有したものは6例しかない。人気のあるものは、西洋諸国と同様、急速に普及している。しかし、より顕著な結果としては、そのような普及が希有だということである。発展途上国は、技術を採用することは得意だが、広範囲に浸透させることはあまり得意でない。

新興国市場での成功例を見ると、新しい技術が普及する場合には、相当急速に普及する。ここから導かれる結論は、技術が急速に浸透しない場合には、その後ゆっくりと不十分にしか広まらないおそれがあるということだ。


私の解釈によれば、このような抵抗力があるのは、テクニウム(訳注:文明としての技術)には決まった発展経路があるからだと思う。技術は、相互に支え合う同種の技術群が必要だという意味で生態系に似ているだけでなく、特定の地点に到達するために、一連の決まった発達が必要だという意味で生命体にも似ている。発展途上国で、オーディオmp3ファイルよりも前にレコードやカセットが必要だとは考えにくいが、電気が必要だということは容易に理解できる。インフラストラクチャーは発達的である(それを支える一連の状態が先行して存在する必要がある)と思われるのに対して、ハイテク機器は生態的である(先行状態が不要)。

再びエコノミスト誌から引用する。

大雑把に言って、新興国経済における技術発展には、2種類の障害が立ちはだかっている。その一つは、技術の継承である。たいていの進歩は、過去の世代の仕事の上に成り立っている。たとえば、計算機を動かすには電気が必要だし、最近の健康管理には信頼性の高い通信が必要である。したがって、古い技術を導入できていない国は、新しい技術についても不利な立場にある。携帯電話は、電線を必要としないが、これは顕著な例外である。


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Global Economic Prospects 2008: Technology Diffusion in the Developing World (pdf)から引用


世界銀行の報告書から引用したこのグラフは、低所得国では、今でも急速に工業技術を取り入れていることを示す。大規模予算によるインフラストラクチャー、たとえば、道路、水道、空港、工場、送配電、発電所などが、強い需要によって建設されている。報告書は次のように述べている。

古い技術が普及するかどうかは、以前、政府予算に厳しい制約があって、技術力も統治能力も弱かった時代に、政府の資金による巨額のインフラストラクチャー建設と保守をどれだけ実施したかに依存する。


テクノロジー1.0の実現という課題に対する政府の取り組み方が、テクノロジー2.0実現の成否を決めるのだ。エコノミスト誌では、次のように述べている。

これは、各国の技術到達度が不揃いだという理由の一つである。たとえば、ケニアにあるコールセンターでは、インドの競争相手と比べて、通信回線の費用が回線容量あたり10倍以上である。インドの光ファイバー網のほうが、はるかに良質で安価なのだ。このように、跳躍的な技術普及ができない場合がある。国が豊かになっても、古い技術の制約がなくなるわけではない。それは、政府による基本的なインフラストラクチャーの整備状況に、ある程度依存する。


跳躍的な普及の証拠が見つからないからと言って、最近の太陽光発電や水力発電、ナノテクノロジーなどの試みが、将来、跳躍的に普及しないとは限らない。おそらく、必要最低限の一連の技術があって、ひとたびそれを達成すれば、跳躍的な技術普及が可能になるのかもしれない。これは、次のように考えればよい。最低限の一連の知識が得られれば、あらゆる最先端思想を学ぶ(そして、そこに跳躍的に到達する)ことができるのだ。





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posted by 七左衛門 at 22:07 | 翻訳