2014年03月10日

「インターネットを信仰する」

著者:ケヴィン・ケリー ( Kevin Kelly )
訳 :堺屋七左衛門


この文章は Kevin Kelly による "The Internet Is My Religion" の日本語訳である。



インターネットを信仰する The Internet Is My Religion

実は、私自身の信仰ではなくて(私の宗教観はこんな感じ)、この男の信仰なのだが、この話は多くの人の意見を代弁していると思う。





ジム・ギリアムは、以前はキリスト教の福音派信者だった。2度にわたって癌による死の淵から生還し、情熱的で明確な自分の信念を持っている。今、ジムが信じているのは、人間を信頼すること、神は実在すること、そして「インターネットは自分の宗教である」ということだ。ネットを通じて起こったすばらしい出来事に恩寵と善を見いだして、その真善美の輝きを宗教という言葉で説明している。彼のインターネットに対する信仰の是非は別として、インターネットが地球規模で拡大するにつれて、宗教的な比喩を使いたくなるだろうとは思う。

地球規模の精神という考え方に関連して、いろいろな新宗教が出現すると覚悟しておくべきだ。電子の神経網が地球全体を覆って、あらゆる生物をつなぐようになる。ノウアスフィアとは、元々はカトリックの司祭による仮説的推論であったが、今後はカトリック信仰そのものに対する対抗勢力になるかもしれない。地球規模の精神が神の兆候だと本気で考える宗派や教団がいくつも勃興してくるだろう。

あるお調子者が言うところでは、宇宙の歴史は、コスモス(宇宙)からバイオス(生物)へ、そしてテクノス(技術)、さらにゴッド・ノウズ(神のみぞ知る)へと進むのだとか。この話の面白いところは、来たるべきゴッド・ノウズの時代は、宗教、霊性、有神論の時代でもあるということだ。量子物理学や重力子のように、全く直感に反する事実が最先端の科学であるならば、人間は心霊主義を受け入れるだろう。一つの粒子が同時に二つの場所に存在することを信じるよりも、霊魂の存在を信じるほうが、ある意味では容易である。

いつの日か、一つのマシン(訳注:地球上のネットや通信システム全体をあらわすケヴィン・ケリーの用語)、すなわち地球全体に張り巡らされた電子の神経網が、ある種の衝撃、ある種の創発的行動、ある種の新しい現象を生むだろう。その誰の目にも明らかな現象を発生させるのは、人間ではなくて巨大なウェブである。そのとき、多くの人はそこに神を見るようになるだろう。人間よりも大きな生命体に対して、畏敬や恐怖といった旧来の反応が起こる。この原始的な感情から、原始宗教的な行動が芽生えそうだ。万一に備えて幸運を祈願しておく、とか。

大多数の人は、何も特別なことは起こっていないと考える。しかし、それは、ごく一部の人にとっては、かえって、自分たちが地球規模の超個体の動静に敏感だと確信する要因になりそうだ。どうして他の人は、これが聞こえないのか、見えないのか、感じないのか、と。

インターネットが宗教になるという理由の一つは、他の宗教も含むあらゆる事象がそこで起こる、ということもある。しかし、より大きな理由としては、インターネットが、地球上に初めて出現した「異質性」の基盤だからである。それは、人間や動物という枠の中での「異質」ではなく、人間とは異なる行為主体、人間よりも大きな行為主体である。本当のエイリアン(異種生物)なのだ。人間はその一部を構成する。この複雑な事態は、精神的あるいは宗教的な問題を巻き起こし、さらに既成の宗教を揺るがすと思う。

何か教義があるのだろう。汝はインターネットをかく使うべし。あるいは、かく使うべからず。この場所へ行くな。これを放棄せよ。さもなくば、その常なる善から排除されるであろう、とか。50年間ずっと外部知能に依存して生活して、その後、破門されるという事態を想像できるだろうか?!

インターネットが自分の宗教である、という考えを私は否定しないし、反発もしない。





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posted by 七左衛門 at 21:33 | 翻訳