訳 :堺屋七左衛門
この文章は Kevin Kelly による "The Pro-Actionary Principle" の日本語訳である。
行動優先原則 The Pro-Actionary Principle
新しい技術を試すにあたって、現在一般的に採用されている方法は、「予防原則」である。予防原則にはいくつかの方式があるが、いずれにも共通の特徴がある。その技術が危害を及ぼすものでないことを証明できるまでは、それを受け入れない。安全であることを証明できなければ、それは禁止されるか、または縮小、変更、廃棄、却下される。つまり、新しい思いつきに対する最初の反応は、安全性が確立するまで何もしないということである。技術革新が起こったときには、まず立ち止まる。そして、その次の段階として、オフラインで、あるいは模型を使うなど、危険がなくて安全でリスクの低い方法で試してみる。その技術が問題ないとわかった後で、初めて生活に取り入れるようになる。
残念ながら予防原則は、確実な保護手段になるとは限らない。模型、実験、シミュレーション、テストなどには本質的に不確実な部分がある。新技術を評価する唯一の確実な方法は、実際の場で使うことである。副次的作用が現れるまで、十分に使いこなさなければならない。技術が生まれた直後に試用すると、最初のうちは、その技術の一次的作用しか確認できない。しかし、たいていの場合には、予期しなかった副次的作用がその後に起こって、いろいろな問題の原因となる。副次的作用が現れるには、ある程度の利用頻度や普及率に達する必要がある。初期の自動車の問題点は、所有者にとっての問題、すなわち、エンジンが動かないとか、ブレーキが効かないというようなものだった。しかし、自動車による真の脅威は、社会全体に対するもの、すなわち、大気汚染物質の蓄積、交通死亡事故、さらには開発による都市近郊の破壊や長時間通勤などであり、これらはすべて副次的作用である。
社会に影響を与えるような副次的作用は、予測や実験や調査報告では確認することができない。SF(科学小説)の大家、アーサー・C・クラークは、次のように述べている。馬の時代には、多くの人々は馬なし馬車を熱望した。自動車は、それ自身の力で前進する乗物という意味において、馬車の一次的作用の延長線上にあって、当然予想されたものである。馬がひく馬車で可能なことは、すべて自動車でも可能であって、馬を使わない点が異なるだけだ。しかし、クラークが指摘するように、馬なし馬車の副次的作用、たとえばドライブインシアター、交通渋滞、運転中のトラブルによる暴力事件などは、予測することが困難であった。
技術が予測不可能な影響をもたらすのは、他の技術との相互作用が原因であることが多い。以前の米国連邦議会技術評価局があまり有用な結果を出せなかった原因についての2005年の調査(pdf)では、次のように述べている。
相当に発達した個々の技術(たとえば、超音速旅客機、原子炉、ある種の医薬品など)について、(不確実ではあるが)もっともらしい将来予測をすることはできる。しかし、技術が根本的に変革するための原動力は、個別の成果によるものではなくて、社会の各方面に浸透した一連の技術の相互作用である。
小規模な実験では副次的作用が起こらない。また、一般的な感情としては、その技術を使うにつれて改良したくなる。そのため、最先端の技術革新について、信頼できる予測をすることは不可能である。新しく出現した技術は、実際の場で使って確認し、使いながら評価しなければならない。すなわち、ある技術の危険性は、実生活での試行錯誤を通じて検討する必要がある。このような行動による検討方法は、「行動優先原則」(Proactionary Principle)と言っても良いだろう。技術は、無為ではなく行動を通じて検証される。この方法においては、新しい思いつきに対する適切な反応は、直ちに試行することである。
その技術が存在する限り、試行と検証を続けるのだ。実際には、「予防原則」を採用しても、技術について「安全だと証明する」ことは不可能である。技術に対しては、いつまでも警戒心を持って検証を継続しなければならない。なぜならば、技術は常に再設計されて変化しているからだ。それは、利用者の行為によるものであったり、あるいは、技術の存在する環境が共進化的であったりするためである。たとえば、今日の自動車は、高速道路、ドライブインシアター、シートベルト、GPS、ハイパーマイリング(超低燃費運転術)などのネットワークに組み込まれていて、百年前のT型フォードとは異なる技術である。そして、その差異の大部分は、内燃機関以外の部分での副次的な発明によるものだ。同様に、今日のアスピリンは、体内の他の薬品との関係、人間の寿命の変化、薬物常用の習慣、低価格化などのせいで、化学的には同じアセチルサリチル酸であっても、柳の樹皮による民間伝承薬とは異なる技術であり、また、百年前にバイエル社が最初に化学合成した薬品とも異なる技術である。技術は、成長に伴って変化する。使用に伴って改造される。普及に伴って、二次的あるいは三次的な影響を生み出す。そして、あらゆる場所に存在するようになると、ほぼ必ず、全く予期しなかった効果を発揮する。
したがって、技術は実際に使って、その動作を見て評価しなければならない。実験室で検証し、試作品で確認し、実証実験で使用し、予想される効果を修正し、その修正にあわせて目的を再検討し、実際の挙動に基づいて再検査し、結果が思わしくない場合は、別の用途への転換を考える。
もちろん、既知の問題については、最初からそれを予測して影響を最小限にとどめる必要がある。技術には必ず何らかの問題がある。問題のない技術はない。あらゆる技術には、社会的な代償が伴う。あらゆる技術は、その周囲の技術に混乱を発生させて、どこか他の部分の便益を損ねるおそれがある。新しい技術の問題点については、十分な検討と調整を通じて影響を軽減するべきであるが、完全に排除することは不可能である。
さらに、行動による影響を検討するときには、不作為の代償(「予防原則」による通常の結果)もあわせて考慮しなければならない。行動しない場合でも、問題が発生したり、予期しない影響があったりする。急速に変化する環境において、現状維持というのは、時間が経って初めて明らかになる隠れた不利益である。このような不作為の代償も、評価の計算に入れておく必要がある。
「行動優先原則」の原型は、マックス・モアが最初に提唱したユーバー・エクストロピアンである。マックス・モアは、2004年にその概念の草案を書いて、2005年に改訂している。元々の発想では、この原則は、ほとんど哲学のような信条というべきものだった。以下に示す考察は、マックス・モアの精緻な哲学の原形をとどめないほど単純化したものである。混同を避けるため、「行動優先原則」という呼び方を強調しておく。モアの改訂版では、10個の原則を示しているが、私の提案では5個に減らした。
「行動優先」の五つの形態
1.予測
予測のためのツールは、効果がある。可能な限り多くの技法を使うことが望ましい。異なる技術には、異なる技法が適合するからである。シナリオ、将来予想、科学小説(SF)などによって、部分的な見通しを提示できる。モデル、シミュレーション、対照実験などによる客観性のある科学的な数値は、重要ではあるが、やはり部分を示すものに過ぎない。この方式においては、長所と同数の短所を想定してみる。また、可能であれば、その技術がどこにでもあって、誰でも無料で入手できたらどうなるかを考える。予測は判断ではない。予測の目的は、次の四つの段階のための基礎を用意することである。将来の行動の予行練習である。
2.継続的評価
あらゆる物をいつでも定量的にテストできるようになってきた。組込み技術のおかげで、技術を日常的に利用しながら大規模な実験ができる。新しい技術は、最初に確認してあったとしても、実際に使いながら常に再確認しなければならない。ニッチなテストを正確に実施する手段もできているので、たとえば、周囲環境、サブカルチャー、遺伝子プール、利用形態など、何かに重点を置いた調査が可能だ。テストは、従来のように一括処理のバッチ方式ではなく、毎日24時間連続して実施するべきである。新しい技術のおかげで(自動的な評価方法が使えるので)、一般市民の心配事だったものが、検証可能な科学になる。テストは受動的ではなく能動的になる。絶え間ない監視が、システムの一部として埋め込まれる。
3.リスクの優先順位(自然によるリスクを含む)
リスクは実在するが、限りがない。すべてのリスクが同等というわけではない。その重大さを検討して、優先順位を決めなければならない。人間や環境に対する脅威の中でも既知で確証のあるものは、仮定のリスクよりも優先度が高い。
さらに、行動しないリスクや自然によるリスクも、あわせて考慮しなければならない。マックス・モアは次のように述べている。「技術のリスクは、自然によるリスクと同じ基準で扱うべきである。自然のリスクを過小評価したり、人工的技術のリスクを過大評価してはならない。」
4.欠点の早期是正
物事が失敗したとき ――それはいつでも起こりうることだが―― 現実の損害に応じて迅速に欠点を是正しなければならない。ここで、実在しない仮定的な損害や潜在的な損害を理由として罰を与えるのは、正義を汚すものであり、組織体制を弱体化し、公正さを欠き、誠実に行動する人を罰することになる。現行技術の欠点を修正するしくみがあれば、誤りが早期に是正されるのだから、間接的に未来の技術を支援することになる。どのような技術についても、何らかの(バグと同様な)害をもたらす可能性があって是正を要するということは、技術の創造にあたって考慮しておかなければならない。
5.禁止ではなく方向転換
技術については、禁止はうまく働かない。全面的な禁止は、全面的な不法行為を生む。技術を禁止しようとした過去の事例を見ると、たいていの場合は、一時的に消えるだけである。地球上の別の場所へ移動するか、どこかのニッチ(すき間)へ隠れてしまう。現代の核兵器禁止は、地球上から核兵器を少しも除去できていない。遺伝子組換食品禁止は、遺伝子組換作物を他の大陸へ移動させただけである。拳銃所持禁止は、市民に対しては成功しているかもしれないが、軍隊や警察には効果がない。技術的観点から見れば、禁止によって場所が変更されるだけで、技術の本質が変わったわけではない。実際のところ、効用よりも害悪のほうが大きい技術に対しては、それを禁止するのではなく、別の使い道を考えるべきである。DDTは、農業用の空中散布殺虫剤だったものが、家庭でのマラリア防止に使われるようになった。社会は、技術という子供の保護者になって、常に適切な友人たちを見つけてやる。そうすることで、新しい発明の最良の側面を発達させるのだ。技術に最初に与えられる仕事は、たいていの場合、全く理想的なものではない。何回もの試行錯誤を経て、その技術にふさわしい仕事が見つかるようになる。
きわめて知的で自律的な技術を備えた世界において、人間の果たすべき役割は何か、という質問を受けることがある。私の答えは、次の通り。「人間は技術の保護者となる。健全な仕事や良い友人の存在する方向へ技術を導いて、正しい価値を教えてやる役割だ。」
そうだとすれば、「行動優先」を促進するための、高度に発達したツールを探究する必要がある。その中には、予測のための良いツール、絶え間ない観察と検証のためのツール、リスクの選定と優先順位決定のためのツール、発生した欠点を是正するためのツール、技術が成長する過程で進路を正しい方向に導くためのツールなどが含まれるはずだ。
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