訳 :堺屋七左衛門
この文章は Kevin Kelly による "Technological Superstition" の日本語訳である。
工業製品の迷信 Technological Superstition
このハイテクの時代にも、迷信はまだ生き残っている。特に工業製品、その中でも歴史上の遺物のように扱われるものについて、顕著に現れている。最近では、米国での9.11の扱いに、超自然的な迷信がまぎれ込んでいる。
近代的大量生産の特徴は、ある発明について同一の複製品を安価に作成する機械の能力である。それは、生身の職人による不揃いな作品とは違う。鉄の塊を作る方法を考案すれば、工場でそれを何百万個でも作ることができる。まず、タイプライターの試作品を作れば、工場では、そのタイプライターと全く同じ複製品を何千台でも何百万台でも製作できる。
しかし、同じタイプライターのうちの一つを有名な作家が使うと、その特定のタイプライターには、何だかわからない特殊性が付与される。たとえば、ヘミングウェイの私物のタイプライター(彼は2台以上所有していた)は、歴史的な遺物のような扱いを受けている。周囲にはロープが張られて触ることが禁止され、まるで巡礼の拝観品のようになっていて、10万ドル以上の値段がついている。でも、この崇拝されるタイプライターそのものは、同じ生産ラインで作られた他の製品と区別がつかない。それがヘミングウェイの物だという証拠は、その物ではなく外部にあるだけだ。つまり、「これがヘミングウェイの物だ」という誰かの言葉を信用しなければならない。その特殊性の由来は、歴史的遺物と同じである。誰かがそう言っている、ということだ。

(写真のライセンスについては訳注1参照)
これは本当にヘミングウェイのタイプライターなのか?
世界の主要な宗教には、みんな遺物がある。イスラム教では、アリーの剣やモーセの杖を尊重する。仏教では、ブッダの小さな遺骨や歯を収めるために、巨大なピラミッド状の塔を建てた。イエス・キリストがはりつけにされた十字架の破片が、中世には広く崇められていた。キリストと間接的に接触するという理由で、普通の木片が不思議な力を持つと信じられた。その木片にキリストが触れたという唯一の証拠は、誰かの口伝えである。木片自体は、特に変わったものではない。仮に、本物の聖十字架の一部であったとしても。
遺物の論理は、超常的である。専門家によれば、遺物の持つ力は、「神聖な人や物が発する神秘的な潜在力」のせいだという。まず、神秘的な力が物に伝わって、さらにその力が物を見たり触ったりする人に伝わるのだそうだ。
現代の収集家の世界では、このような遺物の魔力がエンジン全開になる。2010年のオリンピック決勝戦で使われた3ドルのアイスホッケーのパックは、その試合で使われているうちに発生した特別な性質のおかげで、1万3千ドルの値がついた。バリー・ボンズが762本のホームラン新記録を達成したときのボールは、その特別性が大いに認められて、37万6千ドルで売買された。しかし、物理的には、そのボールは、誰でも17ドルで買える大リーグ公式球と何も変わらない。実際に、ボンズのホームランボールに特別な性質があるわけではない。だからこそ、まさにそのボールの由来を確認できるように、試合前にボールの表面に印を付けるという手の込んだ儀式を行ったのである。
由来というものは、遺物や収集品において重要な概念である。それによって、過去の所有状況に関する主張が成立する。特定の遺物の由来について、信者や収集家の間で議論になることも多い。しかし、由来が真実でありさえすれば、物品に本当に特殊性があるのかどうかは、問われることがない。有名人が使用した工業製品を収集する人たちは、同種の製品の中でも特にその品が、有名人の超常的または神秘的な力を何らかの形で保持する、または発散すると信じている。名声や偉大さに感染性があるかのようだ。スポーツ選手や映画スター、芸術家などの特殊な力が、第二種接近遭遇によって伝達されるらしい。
しかし、由来そのものは、工業製品や大量生産品に特別な意味を与える理由の説明にはならない。有名人が触ったとか、そこで眠ったとか、それを打ったとかいうだけで、大量生産品が特別なものになるという合理的な理由はない。米国独立宣言の署名に使ったペン、あるいはボブ・ディランが演奏したギター、バリー・ボンズが打ったボールは、その工業製品に対して、超常的で不思議な感染力を認めることによってのみ特別なものとなる。
9.11事件の10周年記念日が近づくにつれて(訳注:原文発表は2011年6月)、ワールドトレードセンターの残骸に超常的な力を認めようとする公的な動きがある。倒壊した高層ビルの現場から回収された、ねじ曲がった鋼材が、聖なる遺物として扱われ、その公開会場には長い行列ができている。また、事件現場自体は「聖地」と言われている。
デイリーメール紙によるニューヨーク市民へのインタービューを聞いてみよう。記者は、ためらいもなく「遺物(relics)」という言葉を使っている。
敬意のしるし:ジョン・F・ケネディ国際空港 17番格納庫で、吊り上げられたワールドトレードセンターの鋼材に対して、ニューヨーク市セントジェームズ消防署の署員が敬礼している。
約600マイル離れたカリフォルニアでは、ブラウンシティ消防署員7名が持ち帰った9.11の遺物を迎えるために、数百人の市民が集まった。
ニューヨーク・ニュージャージー港湾公社が実施するワールドトレードセンター鋼材展示計画では、遺物を米国各地の消防署や博物館に送る予定である。同公社常務理事のビル・バローニ氏は、ボストン・ヘラルド紙の取材に対して「これは当機関の聖なる使命だ」と語っている。
今後数週間は、消防署が遺物を地元に持って来るたびに、このような場面が米国各地で繰り返されそうだ。
(2011年6月18日デイリー・メール紙のウェブ記事から引用)
しかし、錆びた鋼材は、単なる屑鉄であって、廃品置場にある古い鉄骨と変わりはない。目に見える特別な性質は何もない。たしかに、その鉄骨の由来を語る、長くて複雑で儀式的な一連の証拠が存在して、科学では見えない特別な性質があることを納得させようとしている。しかし、それは、他の曲がって錆びた鉄の破片と見分けがつかない。誰か無情な人が、他の壊れたビルの鉄骨とすり替えて、それを全国の展示会場へ送ったとしたらどうだろう。この妨害活動に誰も気がつかなかったとしたら、何か違いはあるだろうか?
多くの人にとっては、違うのだろう。それが嘘だからという理由だけではない。使った人のオーラが、人工物を通じて伝わると本当に信じているのだ。この場合にはその鉄骨が、消防救助隊員の勇敢さと、亡くなった市民の罪の無さを伝えている。しかし、物がケガレを伝える場合もある。彼らは、ヒトラーのセーターを着るなんて、とんでもないことだと考えている。その一方で、リンカーンが泊まった部屋で寝るのは、(その部屋が全面的に改装されていても)すばらしいと思っている。これは不思議な思考だ。
古い物を保存することは、たしかに価値がある。工業製品を収集する博物館があって、たとえば、コンピュータ歴史博物館では、最初の試作一号機もあれば、多数の量産機のうちの1台も収集している。いずれも重要な歴史的情報と教訓が詰まっている。しかし、以前、それを誰が触ったとか使ったとかいうことは、影響しない(また、するべきでもない)。工業生産による製品が、遺物となることはありえない。それはすべて複製物なのだ。
たいていの人は、製品に関するこの不思議な思考に陥ってしまう。家族の形見として、父親の時計や母親のネックレスを保管している場合に、何者かがそれを全く同じ製品とすり替えたとしたら、誰でも、だまされたと感じるのではないか? つまり、その製品は、全く同じではないのだ。父親が腕につけていた物、母親が首に掛けていた物は、何らかの方法でその人の何かがしみついている。目に見えない、精神的な、言葉では説明できない性質が、他の製品では欠けているということである。
もちろん、実際には、何も違いはない。だからこそ、その由来を重要視する(「これは先祖代々我が家に保管してあった!」とか)。結局のところ、歴史的な工業製品は、現代社会において、いまだに迷信が湧き出している貯水池なのである。
この作品は クリエイティブ・コモンズ 表示-非営利-継承 4.0 国際 ライセンスの下に提供されています。
ただし、本文中タイプライターの画像を除く。(訳注1参照)
(訳注1)
本文中タイプライターの画像に限り、クリエイティブコモンズBY-SA 3.0 unportedライセンスにより提供されています。
Author:Acroterion
Title: Ernest Hemingway House, Ernest Hemingway's typewriter in his studio, Key West, Florida, USA